大判例

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大阪高等裁判所 昭和25年(ネ)386号 判決 1953年4月30日

控訴人 被告 京都府立医科大学長 勝義孝

訴訟代理人 前堀政幸 外一名

被控訴人 原告 福田彌一 外五名

訴訟代理人 坪野米男 外三名

主文

被控訴人上田好治に対する控訴人の本件控訴を棄却する。

原判決中被控訴人福田彌一、同内藤三樹郎、同平井正也、同木村昭、同谷沢三郎に関する部分を取り消す。

右被控訴人五名の請求を棄却する。

訴訟費用中被控訴人上田好治に関するものは第一、二審とも控訴人の負担とし、その他のものは第一、二審とも被控訴人福田彌一、同内藤三樹郎、同平井正也、同木村昭、同谷沢三郎の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人六名の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人六名の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴人の方で別紙控訴人の準備書面記載のとおり述べ、被控訴人の方で控訴人主張中被控訴人の主張に反する部分を否認すると述べた外、原判決事実記載のとおりであるからこれを引用する。

証拠として、被控訴人は甲第一乃至第四号証を提出し、原審証人足立興一、鈴木成美、弓削経一(第一、二回)水野重一、漆葉見龍、木村廉、門脇一郎、原審及び当審証人保田淳、当審証人服部博史、中村玉枝、山中栄子、杉村初美、松山英俊、平岡昭子、寺石晟雄(第一、二回)、金在河、田阪正利、河返八郎の各証言、原審における控訴人本人の尋問の結果、原審及び当審における被控訴人内藤三樹郎を除く被控訴人五名本人の尋問の結果、当審における被控訴人内藤三樹郎本人の尋問の結果を援用し、乙第二号証、第四号証、第五号証の一、二、第六号証、第八、第九号証、第十二乃至第十四号証は知らない。その他の乙号各証の成立を認めると述べ、

控訴人は、乙第一乃至第四号証、第五号証の一、二、第六号証、第七号証の一、二、第八乃至第十号証、第十一号証の一、二、第十二乃至第十六号証、第十七号証の一乃至五、第十八号証の一乃至二十一、第十九号証の一乃至二十七、第二十号証の一乃至六、第二十一、第二十二号証、第二十三、第二十四号証の各一、二、第二十五号証の一乃至四、第二十六号証の一乃至三、第二十七乃至第二十九号証を提出し、原審証人漆葉見龍、水野重一、木口直二、当審証人榎本安二郎、志多半三郎、梅田良三、後藤五郎、山本富郎、中川安太郎、水野重一、小田完五、河返八郎の各証言、当審における控訴人本人の尋問の結果並びに当審検証の結果を援用し、甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

第一本訴が適法であるかどうかの判断

京都府立医科大学が旧大学令により設立せられ、学校教育法第九八条同法施行規則第九一条の規定に基いて従前の規定による学校として存続する公立大学であることは当事者間に争がない。

控訴人は、本件放学処分は学校教育法第一一条の規定により校長が教育上必要があるものと認めて加えた懲戒であるから、事実行為であつて行政処分でない。教育は教師と学生、生徒、児童との間の人格のつながりであり、懲戒は教育の手段に外ならない。右第一一条但書に体罰の禁止を規定していることからみても、体罰と同様に他の懲戒も事実行為であることが明らかであり、放学もまた事実行為に過ぎない。校長は学校設置者の機関として管理権を有するけれども、校長が懲戒を行うのは教員と同様教師としての立場においてするものであつて、学校設置者の機関として行うものではない。国立、公立学校において行われる懲戒は、私立学校において行われる懲戒と性質上何等異るところはないのである。右第一一条は教師が自由に教育上必要かどうかを認定し、必要があると認めるときは懲戒を加えることができるとする。ただ退学については監督庁の定める同法施行規則第一三条但書各号の一に該当することを要するけれども、これは訓示規定に過ぎないから、これに違反しても違法の問題は生じない。これを要するに教育上の懲戒は教育作用に属する事実行為であつて行政処分でない。

国立又は公立学校の学生生徒は学校という営造物の利用者であるが、営造物設置の反射的利益を受けるに過ぎず、普通利用することを自己の利益として主張できる法律上の地位を与えられたものでない。従つて学生生徒が放学によつて営造物利用関係から排除せられても、反射的利益を受けることができなくなつただけであつて、その利用権を侵害せられるものでない。又国立又は公立学校の学生生徒は営造物である学校の設置者としての国又は地方公共団体と特別権力関係にあるものであるが、その自由意思に基いてこの関係に入つたものであるから、放学処分によつて特別権力関係から排除せられても、これに対して裁判所に訴を提起することは許されない。以上の理由により放学処分を対象とする本訴は不適法であると主張するから考えてみよう。

公立大学の学長は大学の校務を掌り所属職員を統督するもので、大学の機関としての管理権を有し、この管理権の範囲で大学の意思を決定しこれを外部に表示する権限を有するから、いわゆる行政庁にあたるものである。そして従前の規定による学校は従前の規定による学校として存続することができるものであるが、その懲戒権の行使については、学校教育法による学校との間に区別を設ける理由がないから、学校教育法、同施行規則の規定によらなければならないと解する。

ところで、学校教育法第一一条は「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。」と規定し、更に同法施行規則第一三条は「懲戒は、学校がこれを行う。但し退学は市町村立の小学校及び中学校以外の学校において、左の各号の一に該当する者(都道府県立の盲学校及びろう学校の義務教育を受けるものを除く。)に対してのみこれを行うことができる。一 性行不良で改善の見込がないと認められる者、二 学力劣等で成業の見込がないと認められる者、三 正当の理由がなくて出席常でない者、四 学校の秩序を乱しその他学生又は生徒としての本分に反した者」と規定しておる。

これらの規定によつて考えてみるに、懲戒は教育上その必要があると認められた場合教育上の手段として学校がこれを行うものであるが、その行使は校長及び教員が学校を代表してこれにあたるものである。学校教育法第一一条は懲戒権の行使の方法について監督庁の定めるところに委ね、同法施行規則第一三条はこの法律の委任によつて定められたものである。従つて懲戒権の行使は学校教育法第一一条同法施行規則第一三条の規定に従つてなされなければならない。右規則第一三条は右法第一一条の内容をなすものであつて、訓示的規定に過ぎないものと解することはできない。法第一一条但書が事実行為である体罰の禁止を規定しておるからといつて、同条本文に定める懲戒が総て事実行為に属すると論断できないばかりでなく、同条但書は事実上体罰を加えることを禁止するとともに、懲戒処分の一種として体罰を定めることが許されないことをも定めたものと解せられる。教育上の懲戒は総て事実行為であると解するのは正当でない。公立大学の学生に対する退学処分は、学長が行政庁としてなす公法上の行為であつて、いわゆる行政処分にあたり、事実行為でないことは明らかである。

又公立大学の学生はその自由意思によつて営造物である学校の設置者としての地方公共団体と特別権力関係に入つたものであるが、公立大学の学長が学生に対する懲戒として退学に処するには学校教育法第一一条同法施行規則第一三条の規定に従わなければならないことは前に説明するとおりであるから、学生を退学に処し、特別権力関係から排除するについて法規上何等の制限がないと解するのは不当であり、又退学処分は学生たる身分を失わしめる。その学校において教育を受けることができなくなるという効果を伴うものであつて、或る特定の学校で教育を受け得るということは、その学生個人の享受する積極的な内容を有する利益というべきであるから、それはいわゆる反射的利益たるに止まらず、その学生の有する権利なりというに妨げない。従つて右規定に違背して営造物利用関係から排除しても権利の侵害を生ずることはあり得ないと解するのは正当でない。

そうすると公立大学の学長が懲戒権の行使として学生を放学処分に付したのは、学長の行政庁としての管理権に基く行政処分であつて、私立大学の学長が学生に対してなした放学処分とその性質を異にする。もつとも特別権力関係内における行政処分に対しては特別の規定のない限り、争訟を提起することができるかどうかは困難な問題であるけれども、少くとも放学処分のように被処分者を特別権力関係から終局的に排除するものは、単に特別権力関係の内部的処分ということができないから、放学に処せられた学生がその処分が違法であるとして学長を相手方としてその取消を請求することは、行政事件訴訟特例法の定めるところによつて許容せられるのである。本訴を不適法であるとする控訴人の主張は、これを採用しない。

第二事実の認定

(一)本科と女専部との関係及び女専部教授会の性質

成立に争のない乙第十六号証及び原審における控訴人本人の尋問の結果によると次の事実を認めることができる。

京都府立医科大学附属女子専門部(以下女専部と略称する。)は旧専門学校令により京都府立医科大学に附属して設立せられ、学校教育法、同法施行規則により引き続いて存続する医学専門学校であつて、大学本科とは別個の学校であるが、建物その他の施設で共通に利用しておるものがあり、本科学長は当然女専部部長を兼任し、又本科教授で女専部教授を兼ね、女専部教授で本科助教授講師を兼ねるものがあるなど、本科と女専部との間には密接不可分の関係がある。

昭和十九年八月十六日開催せられた女専部教官会議における申し合わせにより女専部教授を以て組織する会議体が置かれ、女子専門部教授会と呼ばれることになつた。この教授会議は生徒の訓育及び教授に関して部長の提案事項を審議する諮問機関であり、又資料を提出審議して部長を補佐するが議案の決定権は部長にあつて教授会にない。その後昭和二十四年十一月当時に至るまで女専部の教育実施、学校の運営に関する事項は部長から右教授会に提案せられその審議を経て決定執行せられていた。

(二)女専部足立教授の進退問題

控訴人が同大学本科学長兼女専部部長であり、女専部教授足立興一が同部長から辞職を勧告せられたことは当事者間に争なく、原審証人足立興一、保田淳、当審証人杉村初美、平岡昭子の各証言、原審における被控訴人平井正也本人の尋問の結果、当審における控訴人本人の尋問の結果によると次の事実を認定することができる。

足立教授は女専部で解剖学の講座を担任していたが、昭和二十三年右講座が廃止せられるとともに生徒係、図書係の閑職にあつたところ、漸次この職も奪われ、昭和二十四年十一月八日勝部長から辞職の勧告を受け、翌九日正午過頃拒絶の意思表示をした。そこで勝部長は九日の後記女専部教授会の流会後足立教授に休職辞令を交付しようとしたが、その受領を拒まれたので翌十日これを郵送した。これより先足立教授と思想的に同調する一部の学生生徒は同教授に対する辞職勧告の事実を知つてこれを不当として憤慨したが、本科二回生と女専部四回生は九日朝クラス会を開いて足立教授解職反対と女専部に基礎医学の講座の設置を要望する旨の決議をし、被控訴人平井正也等本科二回生十数名は九日正午過勝部長に右決議文を提出するため面会したがその満足するような回答を得られなかつたばかりでなく、各自氏名を書くことを求められ、不平不満の念に包まれて引き上げ、同日午後三時から開催せられると聞知した女専部教授会に右決議の趣旨を申し入れることになつた。

(三)十一月九日の女専部教授会の模様

被控訴人六名が同大学本科学生であつたこと、女専部教授会が昭和二十四年十一月九日同大学会議室で開催せられ、八対二の多数決で非公開の決議をしたこと、水野教務課長が被控訴人上田を除く被控訴人五名に対し退場を要求したこと及び右教授会が流会になつたことは当事者間に争がない。

成立に争のない乙第一号証、第十七号証の一乃至五、第二十三号証の一、二、第二十八、第二十九号証、原審証人水野重一の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証の一部、原審証人木口直二、当審証人志田半三郎、梅田良三、山本富郎、小田完五、中川安太郎、保田淳、田阪正利、金在河、河辺八郎の各証言、原審証人鈴木成美、保田淳、門脇一郎、原審及び当審証人水野重一、当審証人服部博史、松山英俊、中村玉枝、山中栄子、杉村初美、平岡昭子の各証言の一部、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人内藤三樹郎を除く被控訴人五名本人の尋問の結果の一部、当審における被控訴人内藤三樹郎本人の尋問の結果の一部並びに当審における検証の結果を総合して考察すると次の事実を認定することができる。

(1)議案

十一月八日勝部長から女専部教授に対し九日午後三時から会議室で明年度インターンに関する件その他を議題として女専部教授会を開催する旨の通知がなされた。インターンに関する件というのはインターン生の病院配属に関する問題であるが、その他というのは別に具体的に定まつたものではなく、随時教授から何か提案があればこれについて相談しようという程度のものであつた。勝部長は右通知をした当時は足立教授の進退問題を議案とすることを考えなかつたが、九日正午頃になつてこれを教授会に報告しておこうと考えるようになつた。

(2)開会までの模様

教授会で足立教授の進退問題が審議されるという噂があつたため、本科三回生の被控訴人福田、同内藤、二回生の被控訴人平井、同木村、本科二回生の保田淳、門脇一郎、田阪正利等及び女専部生徒十数名、女子インターン生五、六名合計約三十名はこれを傍聴して審議の内容を知り、併せて前記クラス会の決議文を提出しこれに対する回答を得ようとして会議室に入り開会を待つていた。開会にさきだつて志多教授は被控訴人木村等学生に女専部教授会は非公開だから傍聴できない旨を伝えたが同被控訴人はこれを承服しなかつた。右入場については予め何人からも許諾を得ていなかつた。

(3)開会から流会までの模様

教授会は当日の議長である鈴木教授の都合で定刻午後三時に遅れ、午後三時半頃志多教授外八名の教授の外、勝部長も出席の上鈴木議長から開会が宣せられた。この時会議室の教授の着席している机の南側に奥の方から順次田阪学生、被控訴人木村、同平井、同内藤、門脇学生、被控訴人福田、保田学生等が、又会議室入口に近い方の衝立附近に女専部生徒、女子インターン生等が位置を占めていた。開会直後志多教授から女専部教授会は従前から非公開であるが本日の会議は公開にするのかどうかという動機が出され、足立教授から自分の一身上のことが出なければよいが、もし出るのであれば公開して貰いたい旨の発言があり、竹沢教授は公開に賛成し、志多教授、梅田教授は従来どおり非公開にすべきことを主張し、勝部長は公開が原則の本科の教授会においても人事については非公開が例であると述べ、双方の議論が激しく展開せられた。この間に被控訴人平井は本科二回生の決議文を鈴木議長に提出しその趣旨を説明することを求めたが許可を得られなかつたので門脇学生とともに数回議長に対して発言を求めた。右の論議が交わされている間に本件二回生の被控訴人谷沢が入つて来て被控訴人福田の傍に席を占めた。このような論議の内に約四十分経過したので、鈴木議長は木口教授の提案で無記名投票により公開非公開の賛否を決することをはかり、採決の結果八対二で非公開と決定せられた。そこで議長は非公開で審議する旨を宣し傍聴の学生生徒等に退場を求めたが大部分の者はこれに応ぜず、議長の意を受けて水野教務課長が再三退去を要求したが、被控訴人平井、同内藤、同木村、門脇学生等は交々非公開は不当である。非公開の理由を聞かせて貫いたい。クラス会の決議文に対する回答を聞かせて貫いたい等と相当大声で発言した。勝部長が発言した被控訴人木村、同平井、同内藤、門脇学生の四名を呼び上げると、被控訴人内藤は勝部長に対しそのようなことをして脅迫するのかと述べた。水野教務課長は勝部長の命によつて右四名の外被控訴人福田、同谷沢、田阪学生の名を呼び上げた上手帳に書き留めた。(水野教務課長は同時に被控訴人上田の名を呼び上げ書き留めたけれども、その時同被控訴人はそこに居合さなかつたことは後に認定するとおりである。)しかし学生等は依然退場せず大声で発言を続けたため喧騒を極め、非公開の採決後約三十分を経過しているのに教授会の審議をすることはとうていできないような状況であつた。そこで志多教授はこのような状況では教授会の審議を続けることはできないと発言し、鈴木議長は教授会の流会を宣し教授会は散会し各教授は退出した。時に午後四時五十分頃であり、引き続き入場していた学生等は退去した。

(4)被控訴人上田の動静

被控訴人上田は当日午後同大学附属病院皮膚科河辺医師から頸部腫物の手当を受けた後始めて教授会のあることを知り傍聴しようとして会議室に来たところ、既に教授会の散会した直後であつて被控訴人内藤、同木村等から流会になつたことを聞き、水野教務課長に流会の理由を聞きただした。その後後に認定するように同月十五日本科教授会において被控訴人上田等に対する放学処分の議決がなされ、その翌十六日本科二回生のクラス会が開かれた席上、被控訴人上田と保田学生は水野教務課長に対し同被控訴人は教授会を傍聴しなかつたから処分される理由がないと抗議した。

前示乙第二十三号証の一、二の水野教務課長の手帳には他の被控訴人等の名とともに「上田」の記載があり、当審証人志多半三郎、山本富郎、小田完五の証言によると、水野課長は当時他の被控訴人等の名とともに上田の名を呼び上げたことが認められるけれども、右志多証人の証言、当審における控訴人本人の尋問の結果によると、右当時被控訴人上田の顔を見知つていた勝部長、志多教授は流会までに会議室内で同被控訴人の顔を見受けなかつたことが認められ、原審証人鈴木成美は「十一月九日の女専教授会において発言した学生の顔は知つております。平井、木村、上田の三人はなかなか活溌に発言しておりました」と証言するけれども、被控訴人上田が被控訴人平井、木村と同じように活溌に発言したことは他にこれに対応する証拠がなく、前掲各証拠と比べると何かの誤解によるものと認める外はない。一方原審及び当審証人保田淳の証言によると水野課長は被控訴人内藤の傍にいた保田学生と視線が合つたから同人がその時来ていたことは充分解つていたはずであることが認められるのに、原審及び当審証人水野重一の証言によると、水野課長は保田学生の顔をよく知つているがその時同人の来ていることに気づかなかつたというのであるから、同証言中被控訴人上田がその時来ていた旨の部分は前掲各証拠と対照して考察するときは容易にこれを信用することができず、その考え違いによるものと認める外はない。前掲各証拠によると、その他には被控訴人上田が流会前に会場に来ていたのを見受けた者が一人もいなかつたことが認められ、乙第二号証の教授会の記録中被控訴人上田に関する記載は水野課長の前記考え違いに基くものであるから、これを採用しない。当審証人榎本安三郎の証言によつても右認定を左右することはできない。なお成立に争のない乙第二十七号証によると被控訴人六名等から京都地方裁判所に提出した昭和二十四年十一月二十二日附仮処分命令申請書には被控訴人上田を含む申請人等が当初から教授会傍聴のため入場していた旨の記載があることが認められ、本件訴状にも同趣旨の記載があり、昭和二十五年二月二十二日の原審口頭弁論期日において被控訴代理人は右訴状を陳述した外同趣旨の釈明をしたことが記録上明らかであるけれども、同年三月二十二日の原審口頭弁論期日において被控訴代理人は右は錯誤であつて被控訴人上田は教授会流会後入室したと訂正すると述べ、控訴代理人は右訂正に異議はないと述べたことが記録上明なかであり、当審証人金在河、田阪正利の証言、当審における被控訴人上田好治、同谷沢三郎本人尋問の結果によると、被控訴人等は右仮処分申請や本件訴訟の提起を弁護士に委任するに当り被控訴人全部に共通して放学処分を違法とする事実関係のみを述べ、被控訴人上田に特有の事実関係の説明を加えなかつたことが認められるから、(4) の認定をくつがえす資料とはならない。

原審証人鈴木成美、保田淳、門脇一郎、当審証人服部博史、松山英俊、中村玉枝、山中栄子、杉村初美、平岡昭子の各証言並びに原審及び当審における被控訴人内藤三樹郎を除く被控訴人五名本人尋問の結果、当審における被控訴人内薬三樹郎本人の尋問の結果中(三)の認定に反する部分は当裁判所の採用した前掲各証拠と対照してこれを信用することはできない。

(四)学生生徒に対する懲戒権の発動

成立に争のない乙第三号証、原審証人水野重一の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証、第十四号証、同証言、原審証人木口直二、当審証人中村玉枝、山中栄子、杉村初美、小田完五の各証言、原審における被控訴人本人の尋問の結果によると、次の事実を認定することができる。

本科学長兼女専部部長勝義孝は女専部教授会の審議を妨害した学生、生徒、女子インターン生を懲戒する方針を定め、女専部生徒十三名に対して、女専部教授会において満場一致の贊成を得た上同年十一月十四日無期停学に処し、女子インターン生四名に対して、同年十二月三日斎藤附属病院長から一ケ月間の登院停止処分に付させた。又本科学生に関しては同年十一月十四日女専部教授会から控訴人あてに右女専部教授会が本科学生、女専部生徒等の公開要求退場命令不応によつて審議不能に陥り流会のやむなきに至つたのはまことに学園の不祥事である。特に本科学生によつて公開強要審議妨害のなされたことは甚だ遺憾である。かくの如き行為を排除しなければ秩序の維持教育の運営は不可能となる。よつて学長の善処を要望する旨の上申書が提出せられた。そこで控訴人は本科学生の被控訴人六名及び門脇一郎、田阪正利に対する懲戒権の発動について審議するため、翌十五日午後三時本科教授会を招集することとした。

十五日午前中水野教務課長は被控訴人福田からその弁解を聴いた。同被控訴人は二回生の決議によつて足立教授に関する決議を申し入れるため自分達は女専部教授会に行つた。本科の教授会が公開だから女専部教授会も当然公開だと思つていた。投票によつて非公開の決定がなされたが自分達にはその理由が納得できなかつたから内藤、平井、木村、門脇は議長から非公開の理由の説明を求めるため発言したまでである。退去を求められたのに抗弁したのではない。自分は意識的に発言をさし控えた。自分一人の考ではあるが、女専部の教授会だから少し軽く見ていたのであつて、本科の教授会ならばあのような事もしなかつたと思う。ともかく自分達は理由の解るまで待つているつもりでいたのであるという意見を述べた。

(五)十一月十五日の本科教授会の模様

十一月十五日の本科教授会において被控訴人六名及び門脇一郎、田阪正利を本科学則第三四条により放学に処すること、但し数日の猶予期間内に退学願を提出したときは放学に処せず復学の余地を残すよう取り計らうことを決議したことは当事者間に争なく、原審証人水野重一の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証の一、二、第六号証、同証言、原審証人弓削経一(第一、二回)漆葉見龍、当審証人後藤五郎の各証言、原審及び当審における控訴人本人の尋問の結果によると次の事実を認めることができる。

十一月十五日の本科教授会は弓削教授が議長となつて午後三時十分頃開会せられ、学長提出の他の議案を決定した後勝学長は前記女専部教授会の上申書を朗読し教授会の審議を妨害した本科学生の処分について審議を求めると述べ、その提案理由として被控訴人等は十一月九日の女専部教授会において非公開の採決がなされたのにかかわらず公開を要求し再三の退場勧告に応ぜず審議を妨害しついに流会を余儀なくさせたが、このような行為は学生の本分にもとり学内の秩序を乱すものであるから、これを排除しなければ学園の秩序を維持し大学の健全な運営を期し難い旨説明し、非公開による審議を求め、出席教授全員の一致した意見で非公開で審議することとなつた。秘密会に入るや勝学長の命により水野教務課長は女専部教授会の開会から流会に至るまでの経過について相当詳細にわたる報告をし、審議の妨害をした本科学生として被控訴人六名、田阪正利、門脇一郎の氏名を読み上げ、同日午前中になされた被控訴人福田との前記対談の要旨を説明し、その他の学生からは意見を徴していない旨を述べた。次いで漆葉幹事長、望月教授、川井教授の質問に対し水野教務課長は、女専部教授会は公開にすると定めたことはないから従前どおり非公開が続いていると思う。今まで傍聴者があつたことは聞いていない。学生が授業を放棄したかどうかは確かでない旨答えた。学長は学生の右のような行為はその本分にもとり学内の秩序を乱したものと考えると述べた。弓削議長は処分すべきかどうかをはかつたところ全員処分することに賛成した。学長は学則第三四条によれば懲戒には戒飭、停学、放学の三種があるが、この場合八名全部を放学に処することとしてはどうか。しかし父兄の立場と教育的見地を考慮し、数日の反省期間を与え、学生が自主的に自ら非を認め退学を願い出たときは退学を認め放学を行わず、学則第一二条によつて復学の余地を残すよう取り計らつてはどうかと意見を述べ、山田博、望月、藤井、後藤各教授はこれに賛成の意見を表した。弓削議長は投票によつて賛否を問うべきことを主張し、学長は責任を明らかにする意味で記名投票がよいと思うと述べ、山田博、田中両教授はこれに賛成し、議長は記名投票は自由意思を束縛するから反対であると述べたが、多数決により記名投票を決定し、投票の結果賛成二十二反対二の多数決で、被控訴人六名及び田阪正利、門脇一郎を放学処分に付すべきものと決議した、秘密会に入つてから右決議に至るまで約三十分かかつた。

(六)教授会の公開非公開について

本科教授会が原則として学内に公開せられていたことは当事者間に争なく、成立に争のない乙第七号証の一、二、第十五号証、第二十四号証の一、二、第二十五号証の一乃至四、原審証人漆葉見龍、鈴木成美、木口直二、水野重一、当審証人志多半三郎の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果、当審における被控訴人平田正也、同内藤三樹郎各本人尋問の結果、原審における被控訴人平井正也、原審及び当審における被控訴人福田彌一、同木村昭、当審における被控訴人谷沢三郎各本人尋問の結果の一部を総合すると、次の事実を認めることができる。

昭和二十年十一月二十八日本科全学生の名において教授会の秘密性一擲及び過去の教授会の速記録の即時公開を要求する旨の決議がなされ、これに対し翌三十日当時の越智学長は教授会は爾後公開することを回答し、爾来本科教授会は学内公開の下に開催されて来た。しかし人事問題については非公開で審議されるのが常であつた。学生はその関心をひく事項の審議される教授会には傍聴に行き、多数の学生が傍聴している場合には教授会の審議に大きな影響を与えるものと考えていた。

女専部の教授会は従前から非公開の慣行があり、実際において学生生徒等の傍聴した例はなかつた。教授会公開の回答は本科学生の決議に対する学長の回答であるから、これによつて女専部教授会が学内公開になつたものと見ることができず、同月三十日女専部生徒一同の名においてなされた決議にも、女専部教授会の公開を要求する事項を包含していない。しかし被控訴人等学生は女専部教授会も、本科教授会と同様学内公開であると誤解していた。

原審における被控訴人平井正也、原審及び当審における被控訴人福田彌一、同木村昭、当審における被控訴人谷沢三郎各本人尋問の結果中、全学民主主義大会において決議せられた結果、女専部教授会も本科教授会と同様公開せられたものである。本科教授会は人事問題に関しても公開で審議せられた旨の部分は、当裁判所の採用する前掲各証拠と比べ合わせると信用できない。

(七)被控訴人六名に対する放学処分

控訴人が被控訴人六名及び田阪正利、門脇一郎に対し昭和二十四年十一月十九日までに退学願を提出したときは放学に処せず、学則第一二条により復学を許すことがある旨を通告し、田阪、門脇は退学願を提出したが、被控訴人六名は退学願を提出しなかつたので、控訴人は同月二十日被控訴人六名を前記理由の下に学則第三四条により放学処分に付したことは当事者間に争がない。

第三放学処分に被控訴人主張の違法があるかどうかの判断

第二で認定した事実を基礎として本件放学処分に被控訴人主張のような違法があるかどうかを順次判断しよう。

(一)  懲戒事由の有無

被控訴人上田は十一月九日の女専部教授会の流会後会議室に来たものであり、全く流会の原因に関係がないから、控訴人が同被控訴人に懲戒の事由である学生の本分にもとる行為があるものと認めて懲戒権を発動したのは事実の誤認に基くものである。

被控訴人福田、同内藤、同平井、同木村は教授会開会前から入場しており、被控訴人谷沢は教授の間で公開非公開の議論がなされている間に入場し、右被控訴人五名の面前において投票採決の結果非公開と決定したものである。元来女専部教授会は本科教授会と異り従前から公開されておらず、被控訴人等はもとより他の学生生徒等もかつてこれを傍聴した実例は存しない。それにもかかわらず被控訴人等が女専部教授会も公開せられているものと信じたのは、全くその誤解によるものである。しかし、被控訴人等が、予め学校当局の承認を得ないで会議室に入場したことは、女専部教授会も公開されているものと信じたためであるから、深く責めるに足りないものとして暫く問題外としよう。教授会の学内公開ということは、傍聴の学生等に対し発言を認容することを意味しない。ましてその発言によつて教授会の審議方法や審議内容に影響力を与えるようなことは許されるものでない。そればかりでなくその面前において論議の上教授会の多数決により非公開と決定せられ、議長から非公開で審議することが宣せられた以上、これに従つて自発的に退場するのが当然であつて、傍聴者からその非公開の決定を不当とし、或いは非公開の理由の説明を求めて論議をさしはさむことの許されないのはいうをまたないところである。

ところが右被控訴人五名は眼前において公開非公開の論議がなされた上非公開の採決があり、議長及び議長の意を受けた水野教務課長から再三退場を要求せられたにもかかわらず退場を肯ぜず、被控訴人平井、同内藤、同木村等は非公開は不当である。非公開の理由を聞かせて貰いたい等と相当大声で発言を続けたため喧騒甚しく、非公開の採決後混乱の内に約三十分経過し、教授会を審議不能に陥れ、審議を妨害し、ついに流会のやむなきに至らしめたものである。

そうすると被控訴人等に懲戒に値する行為がないという被控訴人の主張は被控訴人上田については正当であるが、その他の被控訴人五名に関しては失当である。

(二)懲戒手続の違法の有無

被控訴人は被控訴人等の懲戒処分を審議した本科教授会は教授会公開の原則に反し非公開で審議せられ、被控訴人等の行為を充分調査することなく、又事前に被控訴人等の弁明を聴かないで一方的に放学処分を決議したのは違法であると主張するけれども、教授会の公開非公開は教授会が自主的に決定すべき事項であり、昭和二十年十一月の学長回答以後原則として公開で審議されて来たとしても、非公開を相当とする審議事項については教授会の決議で非公開とすることを妨げるものでなく、従来から人事問題については非公開で審議されるのを常とした。十一月十五日の本科教授会は審議事項に鑑み全員一致の意見で非公開で審議したものである。又懲戒処分を審議する場合如何なる方法でどの程度まで事実を調査するかは教授会の定めるところによるべきであり、右教授会は第二(五)に認定したような調査を以て充分としたものであるから、被控訴人の右主張は採用しない。

(三)放学処分は自由裁量かどうか、自由裁量の限界を超えた違法性の有無

(1)本件放学処分の根拠である学則第三四条には「学生ニシテ其ノ本分ニ悖ル行為アリト認ムル者ハ教授会ノ議ヲ経テ学長コレヲ懲戒ス。懲戒ハ戒飭、停学、放学ノ三種トス」と規定しておるけれども、学校教育法施行規則第一三条但書は懲戒の内退学はその第一号乃至第四号のいずれかに該当する場合に限ることを規定しており、右第四号において「学校の秩序を乱しその他学生又は生徒としての本分に反した者」というのは、右第一号乃至第三号と同様、学生生徒として遇するに値しないような最も重い場合でなければならないことはいうまでもない。従つて学則第三四条に基いて学生を放学に処する場合に学生の本分に反するというのは、学生として遇するに値しないような最悪のものでなければならない。しかしながら懲戒は教育上必要があると認められるときに行われるべきものであることは学校教育法第一一条に定めるとおりであり、同法施行規則第一三条但書において退学事由として掲げている第一号の性行不良で改善の見込がないかどうか、第二号の学力劣等で成業の見込がないかどうか、第三号の正当の理由がなくて出席常でないかどうかは、懲戒権者が教育的見地に立つて判定すべき事項であり、その第四号において学生として遇するに値しない程度に重いその本分に反する行為があつたかどうかも、懲戒権者が教育的見地からこれを判断すべきものである。学生に懲戒に値する行為があつた場合これに懲戒権を発動するかどうかは教育者が教育的見地からその自由裁量によつてこれを定めるべきであるとともに、懲戒権を発動する場合、はたして学生の行為が懲戒に値するものかどうか、更に所定の懲戒処分の内そのいずれに処すべきものかは、懲戒権者が教育的見地に基く自由裁量によつてこれを定めることができるものといわなければならない。けだし、右の教育的見地に立つて懲戒するには、単に懲戒の対象となる行為の外、懲戒を受ける者の平素の行状、右行為の他の学生に与える影響その他諸般の事情を考慮しなければとうていその適切な措置を期し難いところであり、且つこれ等の事情は当該懲戒権者でなければ十分これを知ることができないからである。故に放学処分は法規裁量に属するとなす被控訴人の主張は採用できない。

しかしながら、懲戒権者の自由裁量といつても、全く懲戒権者の勝手気ままに委せるというものでなく、そこにはおのずから一定の限界があり、その限界を超えてなされた処分は違法となる。例えば極めて軽微な事案に対し最も重い放学処分を以て臨む等如何に懲戒権者の教育的見地を顧慮してみてもその判断が社会通念から見て著しく不当であることが明白であるような場合にはその懲戒は違法である。又懲戒権者が懲戒に値する行為があると認めたのは全く事実の誤認であつて全然そのような外形的事実さえなかつたような場合には自由裁量の余地なくその懲戒は違法なことが明らかである。

(2)そうすると被控訴人上田は教授会の流会後会議室に来たものであつて、控訴人の主張するように、非公開の採決後も退場を肯ぜず、教授会の審議を妨害し流会のやむなきに至らしめたような行為がないのにかかわらず、このような行為があるものと誤認し、この誤認に基いて同被控訴人を放学処分に付したものであるから、同被控訴人に対する放学処分は違法であつて取り消さるべきものである。

しかしながら被控訴人福田、同内藤、同平井、同木村、同谷沢はその面前で公開非公開についての論議がなされ、教授会が多数決により非公開と決定せられ議長から非公開で審議することが宣せられ、再三退場を求められたにもかかわらず退場を肯ぜず、被控訴人平井、同内藤、同木村等は大声で発言を続け喧騒を極め、約三十分間審議不能の状態におき、審議を妨害し、ついに流会に至らしめたものである。

(イ)女専部教授会は本科教授会のように法令に定められているものでなく、教授会の申し合わせによるものとはいえ、女専部の教育実施学校運営に関する事項について部長の諮問機関として審議するものであり、これを軽視することは正当でない。

(ロ)当日の議案として予め定つていたものは明年度インターンに関する件だけであつたが、被控訴人等は教授会に足立教授に関するクラス会の決議文を提出しこれに対する回答を得る目的で傍聴に来たものであるから、たとい被控訴人等に対して当日の定まつた議案がインターンに関する件であることを説明しても、被控訴人等がそのまま退場したものとは考えられない。従つて控訴人側が議題について被控訴人等に説明しなかつたことに落度があつたというのはあたらない。

(ハ)被控訴人等が当初から教授会を混乱させ流会させる意図の下に傍聴したものでなかつたとしても、流会のやむなきに至らしめたのは、被控訴人等の言動に外ならない。

(ニ)被控訴人等が女専部教授会を本科教授会と同様公開であると信じていたものとしても、被控訴人やその他の者が今まで一回も女専部教授会を傍聴した実例がなく、これを公開と信じたのは全くその誤解によるものであり、その誤解は首肯するに足りる根拠によるものとはいえない。

(ホ)被控訴人等が非公開の決定を不当と考えその理由を知ろうとして退去に応じなかつたものとしても、元来教授会の審議の公開非公開の理由を説明する必要のないのはいうをまたず、傍聴者がその理由の説明を求めることを許されるものでもない。まして本件の場合においては、前示認定のとおり、被控訴人等の面前において、公開、非公開について論議がなされ、非公開の理由は被控訴人等におのずから判明しているわけである。

(ヘ)被控訴人等の言動が暴行脅迫の程度に達しなかつたものとしても、約三十分間にわたり大声を発し喧騒を極め退場を肯じなかつたため、教授会が審議不能に陥つたことは明らかな事実である。

(ト)被控訴人等の放学処分の議決をした本科教授会の審議の状況は第二(五)で認定したとおりであるから、その審議が慎重を欠くものということはできず、又女専部教授会における事案発生後日ならずして懲戒処分が提案せられたから、本科教授会における審議が冷静客観的に判断する余裕がなかつたとする根拠はない。

(チ)本件放学処分前被控訴人等に対し訓戒を加えなかつたことを以て放学処分に違法性をもたらすものといえない。

(リ)被控訴人等とともに教授会を傍聴していた本科学生中何等の処分を受けていない者があるとしても、学生に懲戒事由にあたる行為があつた場合でもこれに懲戒権を発動するかどうかは懲戒権者の自由に定めるところであつて、一方を懲戒に処しなかつたからといつて、他方を懲戒に処したことを以て違法ということはできない。

そうすると控訴人がその教育的見地からその必要があるものと認めて学則第三四条により被控訴人福田、同内藤、同平井、同木村、同谷沢の前記行為について右被控訴人五名を放学処分に付したことを以て、社会通念から見て著しく不当であると解することはできないから、右被控訴人五名に対する放学処分を違法とすることはできない。

従つて被控訴人上田に対する控訴人の放学処分の取消を求める同被控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当で、同被控訴人に対する本件控訴は理由がないが、その他の被控訴人五名に対する控訴人の放学処分の取消を求める右被控訴人五名の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものであるから、原判決中これを認容した部分は取消を免れない。そこで民事訴訟法第三八四条第三八六条第九六条第八九条第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 大野美稲 判事 熊野啓五郎 判事 村上喜夫)

控訴人の準備書面

第一、本訴は不適法であるから原判決を取消し本訴を却下すべきものである。即ち控訴人が被控訴人六名を放学に処したのは学校教育法第十一条に則り「教育上必要あるとき」の処置として控訴人が執つた事実行為であつて所謂行政行為(法律行為)ではないから行政事件訴訟特例法第一条に謂う「行政庁の処分」その他「公法上の権利関係」には該らず又裁判所法第三条第一項に謂う「法律上の争訟」にも該らないのである。然るに原裁判所が本訴を適法であると認めたのは法令の解釈を誤つた違法がある。何故ならば京都府立医科大学長が同大学管理者たる地位に於て行政事件訴訟特例法第二条に謂う「行政庁」に該ることは異論ないとしても学校教育法第十一条が学生生徒に対し校長及び教官に懲戒を行うことを認めているのは懲戒が行政庁の処分として行われるものでないからである。以下この見解について詳述する。

一、学校教育そのもの及び学校教育のための懲戒は事実行為である。

抑家庭に在つて親が子を教育し、芸道において師匠が弟子を教育し、寺院にあつて師僧が子僧を教育することなどがその関係者間の関係に一任されている如く、学校に在つて教師が生徒(学生、生徒、児童を含めている)を教育することも亦、その教師、生徒間の関係に一任されている。このことは国家が教育殊に学校教育のことに深い関心を寄せ、日本国憲法、教育基本法以下多くの教育関係の法令の存することに眼を蔽うものではない。然しこれらの法令は学校教育の目的、その方法、その施設等に関するものであつて、いわば学校教育の外廓的乃至環境的整備に関することで学校における教育そのものに関することではない。学校における教育そのものは具体的に教師と生徒との間において教えられることそれ自身である。それは単なる事務的知識的接触ではなく、人格的、精神的接触であり、教師側には生徒に対する深い愛、生徒側には教師に対する厚い敬があつて始めてその十分の効果を期待し得る底のものである。こういう人格的、精神的接触であり、愛と敬とを基調とするような教師と生徒との間の教育そのものには国家意思を介入せしめる余地はなく従つて法を以てもこれを規律し得ない性質のものである。即ち教育は生徒という未完成の人間をより完成せしめるための教師の真剣な活動であるからそれは一面生徒を鞭撻し陶冶し鍜錬することである。決して生徒を甘やかして達せられるものではない。厳格な規律の下に行われることを要する。だから教育のためには時として愛のムチを揮わざるを得ない。即ち懲戒を加えざるを得ないことがある。かく教師が生徒に加える懲戒は全く教育上の必要に基いて行うもので、他の目的のために行うものではない。従つてこの懲戒は教育上の一つの手段であり、いわば教育そのものに外ならぬ。然らばそれが教師の手に一任せらるべきことはいうまでもない。このことはかの子の懲戒が親の、芸道の弟子の懲戒が師匠の、子僧の懲戒が師僧の手に委ねられていることと同断である。

学校における懲戒の種類の中に退学(放学)なるものがある。退学なる懲戒はそのこれを受ける生徒からいえば学校教育を継続して受け得ないことになるのであるから、一見教育上の必要に出でるものではないように見えるが、そうではない。一つには当該生徒の退学は当該生徒以外の多くの生徒達の教育上必要であり、も一つには当該生徒に対しても、これによつて始めて深刻な人間的反省を促す意味において教育上必要である。すでに退学も懲戒の一種であり、教育上必要なりとして加えられる以上他の種類の懲戒と共にやはりそれを行うことは教師に一任せられるのが本則であり、そうでなければそれが懲戒であることの意味を生かすことができないのである。恰も芸道の師匠は適宜に弟子を破門し、師僧は適宜に子僧を破門することができるのと其の理を一にするのである。茲を以て教育のための懲戒はそれが或る動作や忍従を命ずることであつても或は又単なる苦言や忠告や誡めであつても将又訓戒、戒飭、停学、放学(退学)であつても何れも教育上必要な事実行為たるに止まり法律的効果を伴う意味での法律行為ではないのである。このことは学校教育法第十一条が懲戒としての体罰にまで言及しその但書を以て体罰を禁止していることによつても十分に分るのである。何故なら右但書の体罰禁止規定は体罰が事実行為として加えられることを懸念しての規定でありこの禁止を犯して事実体罰が行われたときには、刑法第三十五条の規定の適用(正当の業務に関する免責規定)を排除して、その体罰の行為者を刑責に問わんとすることを明かにしているわけであるが体罰を行つたことそのことを法律行為としてその適法違法を論じ現に行われた体罰たる懲戒を以て違法な行政処分なりとしてその取消を求める争訟が成り立ち得る余地は全くないからである。

二、学校教育法の定むる懲戒規定の意味-「校長」の意義は二様に分れる。懲戒は教師としての校長が行うのである。

学校教育法なる法律は学校において教師が生徒に加える懲戒のことについて規定を設けている。第十一条がそれである。曰く「校長及び教員は教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し体罰を加えることはできない。」と。懲戒として体罰を認めるがよいか否かは議論のあるところであるが、同法は明かにこれを禁止しているから、教師は体罰は始めからこれを懲戒の枠の外に置き体罰以外の懲戒のみを加えうることを前提として以下右の規定の趣旨に論及する。

(イ)「校長及び教員」は懲戒を加えることができるとある点に注意しなくてはならない。生徒に懲戒を行いうるのは校長及び教員(併せて教師という)であつて、それ以外の者ではない。学校の設置者はその設置する学校を管理し、原則としてその学校の経費を負担するが(法第五条)生徒に対する懲戒は教師に一任せられ設置者これを行い得ないのである。これ学校の設置者は学校教育の外廓的整備に任ずるものではあるが生徒を教育するものではなく、生徒を教育する任に当る者としては教師以外になく、懲戒は教育者たる教師に委ねるのが最も適当であるからである。だから生徒の懲戒は本来学校設置者(国、地方公共団体及び学校法人)の行うべきことをその機関として教師が行うものではなく、教育者としての独自の立場において即ちその正当の業務として当然認められているところのものを教師が行うのである。校長は一面設置者の機関としてその管理権を行う権限を有するけれども教員は始めより管理機関たる地位を有せず管理権を行うことを得ない。しかし懲戒権は教員もこれを有するのである。懲戒権は管理権と別々のものであり、管理権に基くものではない。ところが校長は学校の管理機関として管理権を行う地位を有するがそれに尽きるものではなく、教員と同じく教育者たるの一面をも有する。「校長は校務を掌り、所属職員を監督する。」とのみあつて(法二八条三項、四〇条、五一条、五八条三項)教育の任に当ることの明示規定がないが、それが単なる事務家であつてならず、むしろ偉大な教育者でなければならぬことはいうをまたないところである。校長に懲戒権が認められるのはその教育者たるが故であつて、管理機関たるが故ではない。校長が学校設置者の機関として管理権を行う場合においては、その設置者が国家であるか、地方公共団体であるか又は学校法人であるかによりその行為の法上の性質が異なり、官公立学校の場合には行政処分であるが、私立学校の場合には行政処分ではないということになろう。しかし教育者として教師(校長及び教員)が生徒に加える懲戒は学校の官公立と私立との区別にも拘らず全く同一の性質を有するものであり、少くとも在来の行政処分に属しないことは疑を容れぬ。私立学校の場合に始めから公権力が問題とならぬことはさて置き、官公立学校の場合でも生徒の懲戒は公権力に基いて加えられるのではなく、強いていえば教育者の権威に依る特殊のものであるからである。これを要するに、学校教育法は、生徒に対する懲戒については一方において校長だけでなく教員にまで、これを行いうるとし、他方において、官公私立の学校に通じて一本に規定しているところから、その懲戒は学校教育の任に当る教師その人に認められていて管理事務を掌る者としての校長に認められているものではない。官公立学校の校長が管理事務を行う場合には、これを行政庁と見ることができ、その処分は行政処分ということができようが教育者としての教師は、それが官公立学校の校長である場合にも行政庁たるものではあり得ず、その行う懲戒処分は行政処分に属し得ない。それ故本件懲戒が公立大学の学長に依つて行われたからという理由で行政庁の行うた行政処分であるとし、行政事件訴訟特例法による提訴を認めたのは、学校教育法の規定の意味を深く探らないところから生じた誤解である。

(ロ)次に学校教育法第十一条に校長及び教員は「教育上必要があると認めるときは」「監督庁の定めるところにより」懲戒を加えることができる。とある点に注意すべきである。一般に懲戒に関する法の規定はいろいろあり、又いろいろの仕方で規定されているが、如何なる場合に懲戒を行うかを示すに当つては、殆んどすべて被懲戒者の義務違反の行為(非行懲戒事犯)を挙げて、これあるときは懲戒を受けるか懲戒をすることができるとかいうように規定していてこの学校教育法の場合のように懲戒事犯を示さないで「教育上必要があると認めるときは」懲戒することができる。というように規定しているのは全く稀で他に類がない。勿論生徒に対する懲戒もそれが懲戒である以上生徒側に何かの非行があるからこれを行うものであるけれど、そのこれを行うのは教育上必要があると認めるからであつて、他の必要に出でるものではない。懲戒は教育上の一つの手段である。ひろい意味において教育そのものである。法はこのことを率直に認めている。懲戒を行いうる場合を端的に「教育上必要があると認めるとき」といい放つて、生徒側にこれこれの非行があるときといつていないところに、この懲戒の規定の仕方の特殊性がある。教育上必要があると認めるときは教師は生徒に懲戒を加えうる。而して「教育上必要があると認めるとき」とあるのみで、他の何等の規定もないから、学校教育法は、如何なる場合に教育上必要があるかどうかの認定を全く教師に一任している。教師は自ら観て以て教育上必要ありとするときは懲戒を加えうべく自ら観て以てその必要なしとするときは懲戒しないまでである。このことも学校教育における教師の立場を如実に認めて同法はかかる規定をしているのである。生徒に対して懲戒を行い得る場合、即ち教育上その必要があると認められる場合においては、更に如何にこれを行うべきか、懲戒の方法のことを考えなくてはならぬ。「監督庁の定めるところにより」とあるのがそれに関した規定である。学校教育法自身はただ懲戒を行いうる場合だけを規定して、その方法については自ら定めず監督庁の定めるところに譲つている。監督庁の定めるべきこととして考えられることは、先ず学校といつてもいろいろ種類があるが、その学校の種類によつて懲戒の行い方をどうするか、次に生徒の如何なる非行に対して如何なる種類の懲戒を行うか、この二点が主なるものである。これらの点について学校教育法施行規則第十三条は次の如く規定する。「懲戒は学校の種類に応じ、学校が之を行う。但し退学は左の各号の一に該当する場合に限る。一、性行不良で改善の見込がないと認められる者。二、学力劣等で成業の見込がないと認められる者、三、正当の理由がなく出席常でない者、四、学校の秩序を乱しその他学生又は生徒としての本分に反した者」と。この規定の本文については問題はない。それは生徒の懲戒はその生徒の属する学校の種類に応じて当該学校(教師)がこれを行うというているのであつて、これによつて学校教育法自身が教師に認めている懲戒権を制限するものでは全然ない。当該学校はその種類に応じ、如何なる非行あるとき如何なる懲戒を行うかを自ら決定して現実の場合にその懲戒を行うことができるのである。これが原則である。ただ一つ例外として退学(放学)なる懲戒を行う場合には、その生徒が但書に掲げる各号の一に該当するときでなければならぬと定められている。これは如何なる意味を有するか。一見教師の懲戒権の制限を為しているように見えるが、しかしそうではない。ただ退学なる懲戒を行う場合にはそれが生徒にとり事重大であるので、特に慎重を期せしむる趣旨で、右但書の方法に依るべきことを教師に監督庁は命じているのである。退学以外の懲戒については同条本文の示す通り、全く何等の限定をもしていないのであるが、退学のみは特別にその方法を定めて教師をしてこれに依らしめるのである。だがそれは監督庁が監督者の立場において教師に命ずるまでであつて、その法的効果は生徒にまで及ぶものではない。その規定はいわば訓示的規定であつて、法規たる性質を有したい。だから仮に教師がこれに違反して退学を命じたとしても、それは訓示的規定に違反し監督庁から責を問われることはあるが、生徒に対する関係において違法の処置として争われることはない。もしもこの但書の規定にそうした生徒側に対する保障的意味を有せしめるのであつたならば、学校教育法は決してこれを監督庁の定めるところに譲らないで、かの体罰の禁止を同法自ら定めたように、法律自身において定めたにちがいない。尚このことは他の多くの懲戒に関する法律の規定の仕方に徴しても首肯せられる。(国家公務員法八二条裁判所法四九条裁判官及びその他の裁判所職員の分限に関する法律二条弁護士法五六条、五七条等参照)これを要するに学校教育法は教師が自由にその教育上必要があるかないかを認定し必要ありと認めるときは生徒に懲戒を加えることができるとする。ただ退学(放学)のみは監督庁の定める同法施行規則第十三条但書に掲げる各号の一に該当する場合なることを要するが、しかしこれも訓示的規定に過ぎないから仮にこれに違反して退学を命じても違法の問題は生じないのである。かくて教師の生徒に対する懲戒はこれらの法令によるも結局教師に一任せられ、わずかに監督庁の監督権行使の余地を残すことはあるが裁判所による審理を受ける余地は全くない。本件懲戒を違法問題として取上げ裁判の対象としたのは、やはり学校教育法の適確な理解を欠いた結果である。

以上を論結する教育は官公私立学校の何れに於ても行われ得る事実行為即ち教育作用であり従つて教育上の懲戒も亦教育作用の一面たる事実行為であつて決して法律行為乃至行政行為ではないのである。それ故斯様な事実行為については当不当の批判が加えられる余地はあつても適法違法の問題が生ずる余地はないのである。而して当不当の批判は教育者乃至教育関係者以外の者では判断できないことである。かくて当不当の批判の余地を正式に取り上げる場合が所謂上級行政庁の監督作用としての処分の取消又は変更の命令であつて、この取消又は変更は行政事件訴訟特例法第一条の謂う行政庁の違法な処分の取消又は変更とは凡そ似て非なるものである。従つて処分の当否の批判は制度上上級行政庁の監督作用の止まるところで止まらざるを得ないのであり、それが争訟として裁判の対象とはなり得ないことも明かである。叙上の法理を学問的用語を以て表現すれば教育作用自体は事実行為であり一種の放任行為乃至自由裁量行為であり従つて争訟の対象たり得ないものである。このことは学校に於ける教育者としての教師の選択教科目及び教科書の選定、被教育者としての生徒の入学許否、試験実施方法の決定、成績の認定、及落の認定等が総て教育者としての教師(学校長又は教員)の単独又は会議上の自由裁量によつて決定すべき事実行為たるに止まり決して法的覊束を受けるものでないことと全く同じである。

第二、仮に第一の見解を採らず、官公立学校については特別の法理が成り立ち、本件懲戒処分が行政処分であるとしても、控訴人が為した本件行政処分は行政庁たる控訴人の自由裁量に出でた行政行為であつて、その適法又は違法を論ずる余地はなく、本訴は不適法であるから原判決は取消され、本訴は却下せらるべきである。即ち右第一に於てはことを営造物利用関係の法理とは関係なく、一に学校教育法の規定に基いて論じたものであるが、仮に本件懲戒処分の如きを在来の営造物利用関係の法理を以て論じ得るとしても、それは行政事件訴訟として裁判所に提訴し得るものではない。

一、まず第一に生徒が懲戒として退学(放学)させられた場合に、これにより生徒の営造物利用の権利の侵害があるかというにそれはないのである。凡そ官公立学校は国家又は地方公共団体なる行政の主体の営造物である。而して生徒がこれらの学校に在つて教育を受けることは営造物を利用することであり、しかもそれはその営造物本来の目的の範囲内で且つ通常の程度で利用するのであるから、営造物の普通利用に外ならぬ。然るに営造物の普通利用の法的性質は、これを以て利用者の権利ではなく、法の反射たる利益に過ぎないとするを以て正当とする。けだし行政の主体はその営造物を公共の利用に供し、行政の客体はただその結果としてこれを利用し得るのみである。即ち利用者は営造用設定の反射たる利益を享受し得るに過ぎない。決して利用者にその普通利用を為したことを自己の利益なりとして主張し得る法上の地位が認められているものではない。尤も普通利用だからといつて何人もが常に自由に利用できるとは限らない。利用者の資格又は範囲を限定し、又は利用者から利用料を徴収することがある。しかしこれがためにその利用が利用者の権利として認められるものではない(佐々木惣一、改版日本行政法論総論二八〇頁以下、渡辺宗太郎、日本国行政法要論上巻二六一頁以下、園部敏、公法上の特別権力関係の理論七九頁参照)。かく官公立学校の如き営造物の普通利用をなし得ること、即ち生徒が学校に在つてその教育を受け得ることは生徒(学生、生徒及び児童)の権利ではなく、単なる法の反射たる利益に過ぎぬとせば、それら学校が懲戒としてその所属生徒を退学(義務教育の場合に退学処分が考えられないことは謂うまでもない)させて、そこにおいて教育を受けること能わざらしめても、即ちその生徒をその営造物利用関係より排除してしまつても、それによつては単にその生徒に認められる法の反射たる利益の享受を失わせるだけで、その生徒の利用権を侵害するものではない。仮に右退学処分が違法のものであつたとしても、それが生徒の権利を侵害するものでない以上、その生徒はこれに対し行政事件訴訟を提起し得ない。けだし、行政事件訴訟を提起し得るためには行政庁の処分が違法であるだけを以ては足らず、これにより提訴者の権利侵害あることを要するからである(田中二郎、行政争訟の法理(三)法学協会雑誌第六十七巻第四号六七頁六行目以下及び一三行目以下。)。

二、次に営造物利用関係はいわゆる特別の権力関係の一つであるから、これに特別の権力関係の法理をあてはめて見ることができ、この法理からしても、本懲戒事件の如きはこれを裁判所に提訴し得るものではない(教師と生徒との間の関係として見なければならぬ前述の解釈からすれば在来の特別の権力関係の理論を以て論ずることはできぬのであるが、ここには暫く在来の特別の権力関係として見ることにする。)即ち官公立学校の生徒は学校なる営造物を利用するものであるという特別な資格で学校設置者としての国家又は地方公共団体に所属する者であるから学校設置者と生徒との間の関係は一般の権力関係ではなく、特別の権力関係である。この関係が一旦適法に成立した以上は、学校設置者は学校教育を達するに必要な範囲内において包括的な命令権を有し、生徒はこれに服従すべき包括的義務を負うのである。ところでこの両者間の関係は、国家又は地方公共団体とその国民又は団体員との間の一般的権力関係とは異なり、特別なものであるから、その学校設置者としての国家又は地方公共団体が有する特別の命令権(この場合はこれを営造物権力ということができる)に基く命令は国家又は地方公共団体の一般の統治権に基く命令とは性質を異にし、一般抽象的規律を定めるものではあるが、法規たる性質を有するものではなく、又個々の現実になされる行為についても一般の行政行為とは異なり、法律の特別の定めある場合を除く外これに対し、裁判所に争訟を提起することができるものではない。右の特別の権力関係において生徒がその義務に違反するときは学校設置者としての国家又は地方公共団体はこれに対して懲戒を加え、最も重い懲戒として生徒をその権力関係から排除すること、即ち退学(放学)させることができる。法律に基く特別の権力関係に在つては、これらの懲戒をするにも法律の規定が必要であるが、大学学生の場合の如く合意に基く特別の権力関係に在つては法律の別段の定めあることを必要とせず、任意の承諾を根拠として当然これを行い得べく、学生は当然これに服することを要し、これを争う途はないのである。(美濃部達吉、行政法序論六三頁以下、田中二郎、行政法大意五三頁以下、園部敏、公法上の特別権力関係の理論一頁以下、七五頁以下参照。)これらのことは生徒が入学に際して校長へ差入れる彼の「誓約書」というが如きものに端的に示されているところであつて、教育行政上沿革的に、また理論的に所謂大学の自治が認め得られるかどうかに関係なく言い得るところである。而して懲戒がたとえ不当又は違法になされたとする場合には前述の如く唯だ監督官庁たる上級行政庁の取消又は変更命令が成り立つのみであつて、万一上級行政庁も亦同一意見であれば最早その懲戒の不当違法を正す途はないのである。否そのことは寧ろ懲戒の正当性、適法性を証明するものであると見るべきである。これは一見暴論の如くにして実は正論である。それは例えば裁判に於ても最高裁判所の裁判が行われた後は最早その不当や違法を論ずる途は残されないのみでなく、その裁判こそが最上最良のものとせられるのと同断である。若し右の結論が不当であるとして気にかかるとすれば(原判決が自由裁量権の逸脱などという晦渋な説明をしておるのは正に斯様なことを気にした証左である)それは懲戒処分を刑罰と同一視するか又は之を混同したかによる謬見であるが原判決は正にこのような謬見に立つのではなかろうか。即ち教育上必要な懲戒の性質については既に詳述したところであつてそれが刑罰でないことは既に明かであるから懲戒処分は刑事裁判ではない。学校が下級審で裁判所が上級審ではないのである。

三、次に仮に百歩を譲つて公法上の特別権力関係に基く個々の私人の自由の制限は権利の侵害であり、それ故に行政事件たる争訟の内容たり得るとの見解(原判決が示す見解は斯様なものと解せられる)を容認するとしよう。思うに法治主義の下に在つては技術的に複雑多岐であつて必ずしも司法的審査に適しないことの一般に認められるところの行政行為といえども、法令に規定なきところにはそれがなされる余地はないのである。これが法原理としての法治主義なのである(大学学長たる控訴人が学生たる被控訴人を懲戒したことが所謂公法上の特別権力関係を成立せしめている法令の規定に基くものであつたからこの法治主義の法原理に適合していることは今更言うまでもない)。然し法令の規定によつてなされる行政行為ではあつても(1) その行政行為の要件につき法令の規定なき場合と(2) 又はその要件についての法令の規定があつてもそれが多義的な不確定概念を掲げている場合とがありしかもその多義的な不確定概念が(い)終局目的即ち公益適合性を掲げるに止まる場合と(ろ)中間目的を掲げる場合とがある。学説上(1) と(い)の二つの場合が所謂裁量行為とせられ(ろ)の場合が所謂覊束行為とせられているところである。ここに終局目的とは「何が公益に適合するか」の問題に関するのであるからそれはただ行政機関に対する訓令又は職務命令たるに止まりその公益適否の内容は行政機関の判断に一任せられているから、たとえ客観的に見てその判断に誤謬があつても国民に対する関係に於ては何ら違法でなく、これに関する国民との間の争は単なる意見の相違であつて、法律上の争訟とはならないのである。この場合その法の規定に含まれる多義的な不確定概念に関する解釈問題が生じても所謂法規裁量というのはこの場合を謂うのであろうか。それはどこまでも公益適否の裁量の埒内に於て決せられることであるから所謂違法の問題は生じないのである。この点に関し、所謂「法規裁量」を誤ることは結局何が法なるかの裁量を誤るわけで、違法の問題となるとする見解がある(田中二郎前掲、行政争訟の法理(三)六六頁本文一行目以下)が必ずしも妥当な見解ではない(柳瀬良幹、行政法一一一頁乃至一一九頁特に一一八頁以下)。ところが本訴に於て問題とされている懲戒は学校教育法第十一条「校長及び教員は教育上必要があると認めるときは監督官庁の定めるところにより学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し体罰を加えることはできない」と定めているところに則つてなされた行為であるが茲に「教育上必要があると認める」と謂うているのが右に所謂「多義的な不確定概念によつて示された終局目的」であり、この終局目的への適合の当否を「認める」自由裁量が校長及び教員に委ねられていることを示すものである。しかも「監督庁の定める」ところとして存在する学校教育法施行規則第十三条が「懲戒は学校の種類に応じ学校が之を行う、但し退学は左の各号の一に該当する場合に限る」と定めその第四号に「学校の秩序を乱しその他学生又は生徒の本分に反した者」を掲げているのは懲戒の要件を定めたものだと仮に認めても、この要件がまた「学校の秩序を乱し」とか「其の他学生又は生徒の本分に反す」とかという多義的な不確定概念を以て示されていると見るべきは争うべからざるところであつてこれらの多義的な不確定概念は謂はば学校教育法第十一条が「教育上必要がある」としている「終局目的」の内容を稍々具体的に説明するにすぎないところの異語同義的なものであつて、矢張り同じ「終局目的」を掲げたものであると解すべきである。況んや同施行規則第十三条は同法第十一条が要請するところに従つて「監督庁」たる文部大臣が定めたところのものであり、之を以て監督庁の訓令又は職務命令たる性質を持つものと解すべきであるから、この懲戒行為が覊束行為であるとせられるべき法理は成立しないのである。殊に控訴人が被控訴人を放学処分に附するについては、学校教育法第九十八条及び同法施行規則第九十条によつて存続する所謂旧制大学たる京都府立医科大学が大学規定第十条「大学ハ教育上必要ト認メタルトキハ在学者ニ懲戒を加フルコトヲ得」の規程及び同規程に則つて定められた京都府立医科大学学則第三十四条「学生ニシテ其ノ本分ニ悖ル行為アリト認ムル者ハ教授会ノ議ヲ経テ学長之ヲ懲戒ス。懲戒ハ戒飭、停学、放学ノ三種トス」の規定に依つたのであつて右規程は文部大臣の訓令又は職務命令たるの性質を出でず又右学則は所謂特別権力関係のみを自ら拘束する行政規則であるから、仮に同大学学長たる控訴人が被控訴人について誤つて「学生の本分に反する者」又は「学生ノ本分ニ悖ル行為アリト認ムル者」に該当すると認めて何らかの懲戒を加へたとしてもその懲戒の効力には影響を及ぼすものではなく、唯監督庁の取消を受けるだけである。つまりその行政行為について法律上の違法の問題は起らないのである。況んや右の認定に誤がないに拘らず控訴人の為した放学処分が妥当でないとし、それと異なる懲戒例えばそれよりも軽い懲戒を相当とするというが如き司法的審査上の論議をなすは畢竟本来純粋に自由裁量たる行政処分に対する司法的干犯と謂はねばならない。

これを要するに生徒(学生、児童を含む)に対する学校(校長及び教員)の懲戒殊に退学(放学)を在来の営造物普通利用の関係乃至特別の権力関係の法理からすれば或はそれがたとえ違法に行はれたとしても権利侵害という訴訟要件を欠き或は一般の権力関係に関する問題でないから始めからそれは裁判上の問題とはならないのである。若し又仮にそこに権利侵害という訴訟要件が成り立つとしても教育上必要な懲戒に在つては、法令が懲戒の要件を定めるに終局的目的を掲げる多義的な不確定概念を以てしているが故に、疑いもなくそれは裁量行為に属するものであつて、万一裁量を誤つても違法の問題とはならず結局裁判上の問題とはなり得ないものである。加之原判決は懲戒を刑罰と混同し恰も罪刑法定主義に則る刑事裁判に於て刑罰法規を探究すると同じ態度を持し乍らしかも刑事裁判に於てすら「刑の量定」が法定刑の定めあるに拘らず自由裁量に属する裁判所の行為なること、従つて「量刑の不当」が決して「違法」と混同せられていないことの真義を理解しないのと同断である。仍て原判決が本訴を却下しなかつたのは失当であるから原判決は取消され、本訴は却下せらるべきである。

第三、仮に本訴を適法なりとし本件懲戒処分は所謂覊束行為乃至「法規裁量行為」に属し裁判所が、その適法違法を判断し得べきものであるとしてもなお違法であるから原判決は取消され本訴は棄却せらるべきである。即ち右に述べた如く行政行為の要件を定める法の規定が一義的であるか又はその含む多義的な不確定概念が中間目的を掲げているときはその行政行為は覊束行為(所謂「法規裁量」の場合の一部を含めて)と解されるのである。従つて当該規定が掲げるものが終局目的なりや中間目的なりやを決定することが容易でないときには困難な問題を生ずるのである。今仮に例えば右に述べた放学(退学)の要件として学則が掲げる「学生の本分に反する」とか「学生の本分に悖る」とかという多義的不確定概念が「教育上必要がある」という終局目的に対し中間目的を掲げるものであるとするときは、この懲戒は覊束行為と解せられるか又少くともその学則の規定が多義的な不確定概念の解釈に関する問題を含むが故に所謂「法規裁量」として法令に覊束せられる行為と解せられ、法律上の対象たり得るとせられるのであろう。斯る見解は原判決がこれを採つているかに見えるのである。従つて今仮に右の見解に従つて控訴人が被控訴人に対してなした懲戒処分が果して右学則の法規の執行として、法の解釈を正しく為したものなりや否やを原裁判所が審理したのは相当であるとしよう。而して原判決の見解の如く概念的には懲戒裁量権の行使は一定の限度に於て自由であるが、その限界を超えた裁量は違法であるとしよう。然しそれにも拘らずなお原判決は失当である。即ち原判決には控訴人の挙げた実質的証拠の数々について適正な判断をなすことなく却つて「当事者間に争のない諸事実を経とし弁論の全趣旨を緯としつつ原被告の挙示する全証拠を彼此綜合して証拠判断を加えれば次のような事実を認定することができる。この認定に反する証拠は採らない」と宣言して(このことの違法であることは別に陳述する)その「認定したところ」と称する事実を掲げているのである。その結果は被控訴人谷沢三郎及び同上田好治については学則第三十四条に掲げる「学生の本分に悖ると認められる者」に該る者ではないと認定して(この認定の不当なることは後に陳述する)同被控訴人の請求を容れ福田彌一外三名については「学生の本分に悖ると認められる者」であり相当厳重な懲戒に値すると認定しながら同被控訴人の人物性行その他平常の行動については何ら知るところなくして控訴人が被控訴人に対してなした懲戒が社会常識上著しく不当でありそれ故に違法であると断定して同被控訴人の請求を容れたのである。而してその著しく不当だとする理由として原判決が示したところは恰も(1) 被控訴人福田彌一等がその議事を妨害した京都府立医科大学附属女子専門部(以下女専部と呼ぶ)の教授会は同大学の教授会程には権威があるものではなく、又重要でない。(2) 議事を妨害せられたその女専部教授会議の議案は左程重要なものではなかつた。(3) 議事を妨害せられたその女専部教授会の方でもつて辛棒強く被控訴人等妨害者を説得すべきであつた。(4) 議事妨害の方法が暴行、脅迫でなかつた。(5) その議事妨害は被控訴人等か予謀的計画的になしたのではなかつた。(6) 同大学教授会が早期に被控訴人等の懲戒につき審議したのは感情的であり早計に失し軽卒であつた。等であるが如くである。然し同大学に於ける教育行政に無関係な原裁判所の如きが斯様な判断をなしたことが果してどれだけの正鵠を得ているであろうか。一体原裁判所は学校に於ける教授会議事妨害の事実を如何に評価しているのであろうか。原判決は学校運営における教授会の意義を理解しているのであろうか。控訴人は原審に於て教授会の意義について十分に述べたのであるが、原裁判所はこれを正当に理解し得ないのであろうか。被控訴人のなした教授会議事妨害が学生の本分に悖る行為であり乍らそこになおどれだけの論議を狭まなければ放学に値しないものがあるであろうか。この点につき原判決は右の様な事由を挙げて控訴人のなした放学処分を社会常識上著しく不当だとなし左様な場合には不当は昂じて違法となると断ずるに至つたのであるが、この間の説明は理論上唐突であり独断であつて吾人を首肯せしめる何ものもないのである。成る程原判決の謂う如く裁量行為もその程度を超えれば違法の問題を惹起するという立論を何とかして理解するとしても、その故にこそ如何なる場合にそれが「程度を超える」かの認定はいよいよ専門的にそのことに携つている当該行政庁自身に委ねるのが合目的であると謂はねばならないのである。即ちことが程度の認定に限られる今日では全く行政庁の自由裁量に委ねられねばならない所以がそこに正しく理解せられるのである。

思うに学生の本分に悖つた被控訴人を懲戒するについて右大学学則第三十四条に定める何れの種類の懲戒を選ぶべきかの判断は当該教育行政庁(その実は該教育実施者)たる控訴人及び控訴人を助くる教員の教授会こそが能くこれを知るのであつて原裁判所の到底窺知し得るところではないのである。何故なら教育行政が復雑多岐なる技術的性質を有する学校教育上の必要から被控訴人に対する懲戒が如何なるものでなければならないかは日常被控訴人及び之を含む全学生の教育に携はる控訴人等教育実施者にして初めて能く理解し判断し得るところであるからである。原裁判所は恰も自己が教育の真義を説き尽したかの如き言辞を連ねて控訴人が本件懲戒をなすについて為したところを非難するかの口吻を示し放学が学校教育の機会を奪うのであることに想到して極力之を避くべきだとする念願を示しているのであるが、その実却つて学校教育法令自身が退学することを容認していること、放学すらなお被放学者及び全学生に対して持つ教育的意義を理解するに至つていないことを示すものである。

抑々学校(校長及び教員)が学生の或る行為に対して行う懲戒に如何なる種類を選ぶかは単に当該行為のみを見て之を決すべきではなく平常の一切の行動を見て判断すべきものである。右学則第三十四条が懲戒として放学、停学及び戒飭の三種を定め乍らそれを選ぶべき基準を掲げないのは、これを掲げることが事実上不可能であるのみでなく懲戒は右の如き教育的判断に基いて之をなすべきであるからである。然るところ被控訴人六名は京都府立医科大学に入学以来日本共産党員として同大学の内外に於て同党の政治行動を推進するに努め殆んど学業を放擲し控訴人等同大学の教育担当者の教導に従はず所謂性行不良にして成業に見込すらないものであつて本件の女専部教授会議事妨害の如きも決して偶然的なものではなく全く日本共産党員として所謂革命運動の一端たる日常闘争として十分に計画せられたものであつて、著しく学生の本分に反する行為であることは之を看過し得ないのである。

然るに原判決は叙上の如き一切の事実に目を蔽つているのみでなく被控訴人の所為が放学に値しないとして自ら挙示した事由につき次の如く事実を誤認して敢えて控訴人が適法になした自由裁量に容啄したのである。即ち原判決は事実の認定として当事者に争の無い諸事実を経とし弁論の全趣旨を緯としつつ原被告の挙示する全証拠を彼此綜合して証拠判断を加えれば次の様な事実を認定することが出来る。この認定に反する証拠は採らないと前提して(1) 本科と女専部との関係及女専部教授会の性格 (2) 女専部足立教授の進退問題 (3) 十一月九日女専部教授会の顛末 (イ)議題 (ロ)開会迄の模様 (ハ)開会から流会迄の経緯 (ニ)原告谷沢、原告上田の動静についても詳細な認定しているがその帰するところは (イ)被控訴人等が女専部教授会議室に入場したのは教授会を傍聴し且つはクラス会の決議の趣旨を陳述せんが為であつて当初から之を混乱流会させる意図があつてのことでは無く流会は思わない結果であつたこと。(ロ)女専部教授会も本科教授会と同様公開であると信じており、信ずるにつき相当の理由があつたこと。(ハ)その様な事情があるので非公開と決定されたことに付き不満を抱き不当と感じなかつたためであるが、その間においてかなり喧騒に亘つたとは云え脅迫的言辞を弄したり暴行に及んだものでないこと。(ニ)当日の議題が学校並に原告等にとつてさほど重大なことでは無かつたのであるからそのことを周知説得すれば本件の如き事態に立至らなかつたと認められる事情が存在し、この点控訴人側にも多少の落度がないと云えないことが看取できるのである。従て被控訴人等を特に非難すべき点は詮じつめれば教授会が非公開との決議を行つたにも拘らず退場を肯せず教授会の意思を軽視しこれを冒涜したことに帰する。しかしその教授会は本学自治の中枢機関である本科の教授会のそれではなく附属女専部の申合せによる諮問機関であるそれであつた。被控訴人等は女専部の教授会だからと云うので少々軽く見ていた節がある。かように見て来れば被控訴人福田等四名の行為は相当厳重な懲戒に値するということができるが放学に値する程悪質のものと認めるを得ないとなしているのである。従つて原判決は被控訴人本人の供述に現われた表面的な個々の事実だけはよく拾つているがこれらの事実背景をなす事実及び当時の一般的な社会状勢をどの程度まで配慮したか判文上で明瞭を欠き何れの証拠を以て如何なる事実を認定したか又他の証拠を如何に排斥したかが不明であるのは甚だ遺憾であり失当であつてこの周到な事実認定への配慮と妥当な証拠判断なくしては被控訴人の言語行動目的等に対する正しい価値判断は期すべくもない。然らば

(一)原判決が「幸にも原告等が冒涜した教授会は本学の中枢機関である本科教授会のそれでなく附属女専部フ申合せによる諮問機関である女専部のそれであつた」として恰も京都府立医科大学の教授会と同附属女専部の教授会との間にその権威と重要性とにつき差等があるとする如き見解を示していることは全く妄断であつて驚く外はない。原判決は原裁判所に於ける原告(被控訴人)の供述によつて、この点を是認したのか自己の見解を示したのか必ずしも明かでないが、何れにしても失当であり、教授会が総ての学校にとつて重要な意義を持ち、それが学校運営、教育実施の中枢機関であることは控訴人が原裁判所に陳述した通りであり、大学教授会の如く学校教育法に定められてあると否とによつて差等はないのである。被控訴人のように之に差等を認めるような見解を是認することこそ著しく社会常識を欠くものである。殊に原判決は被控訴人等が自己と関係のない女専部教授会の議事に何故に関心を持つたかの真相を掴んでいないし、又被控訴人が議事を妨害したその教授会が自己と関係のある同大学本科教授会でなく、自己と関係のない女専部教授であつたことの意義を重視せず、却つて軽視しているのは全く不可解なことである。

(二)原判決が議事を妨害せられた女専部教授会の当時の議案が左程重大なものでなかつたと認めたのは著しく不当である。学校教授会は元々学校運営並教育実施上重要な事項を審議するために存在しているのであつてそのことは学校教育法第五十九条が大学の教授会について規定しているところを見ても明かである。殊に裁判所が当該教授会の議案の重要なりや否やを判断する能力はない筈であつて、議事を妨害せられた女専部教授会の当時の議案はインターンに関する件其の他であつたが「インターン」の問題は医学校にとつては重要な問題であるのであり、又「其の他」と謂うのは「何かつまらない雑件」を意味するのではなくこれは同教授会の慣例として随時追加せられることのある重要事項に関する議題を予想して予め告知する方式であつたのであり苟しくも教授会の議案とするに足るだけの重要事項を意味していたのである。従つて本来重要事項であるものにつき甲乙の比較差はあつて比較的重要でないという表現をとることがあつても、そのために重要事項が重要事項でないということを意味するのではないのである。因に言えば教授会は学校教育運営上重要なのであるが、それが重要意義を持つのは議案がそこで練られるという事に在るのであつて、それが諮問機関であるか、審議機関であるか、執行機関であるかの如何はそれの権威の本質には関係ないのである。従つてそこで審議せられる議案がどの程度に重要であるかということによつて教授会の重要性が左右せられ権威に甲乙を生ずるものではないのである。かようなことも亦教育者に於てのみ十分に理解し得るのであつて原判決が議題の重要性如何によつて教授会議事妨害の重大性に差等を附せんとする見解を示したことは全く学校教育及びその運営上の教授会の使命乃至意義を理解しない証左であることを茲に言及しておきたい。

(三)原判決が議事を妨害せられた女専部教授会の方でもつと忍従して妨害者たる被控訴人を説得すべきであつたとするに至つた関係事実の認定も失当である。即ち原判決は「従来から女専部教授会は非公開の慣行があり事実学生生徒等の傍聴があつた例はない。しかしながら原告等学生は女専部の教授会が本科のそれと同様に原則として学内公開であると信じていたものである」となしたが、抑々学校教授会は教員を以て構成せられるのであるからその教員以外の者に対して公開せられないのが本則であるべきであつて、慣行上非公開などというべき筋合のものではないのである。殊に被控訴人は女専部生徒ではないのであるから、女専部教授会に何の利害関係もないわけであり、そのような者が曽て一度も傍聴に関心を持たなかつた同教授会を強いて傍聴しようというについては、何らかの魂胆をもつていたことが明らかであり所謂胸に一物をもつていたわけである。さればこそ被控訴人は同教授会の開催に先立ち志多半三郎教授から同教授会が非公開のものなることを告げられ、退室を求められたに拘らず言を左右にして敢て退室しなかつたのである。従つて被控訴人等の当時の行動が或る企図を以て計画せられていたものであることは明かであつて、被控訴人が女専教授会が学内公開であると信じていたことに相当の理由があるなどとは到底謂い得ないのである。殊に被控訴人の面前に於て態々同教授会の非公開を確認する票決が行われたのを知りながら、猶その公開を要求し非公開の理由の説明を要求したことは原判決も亦認めるところであるから、斯様な情況下に在つても同教授会が学内公開であると信じていたことに相当の理由があるなどと謂えるであろうか。況んや非公開にて議事を進めることとなつていたからには教授会の議案の如きはこれを被控訴人に公表周知せしむべき理由はないのであり、ましてやその議案が重要なものでないことを説明して被控訴人を説得しなければならぬ謂われもないのである。否かくの如きを求めることこそ同教授会を冒涜するものであり、殊に当時の議案がさほど重大なものでなかつたなどとは謂い得ないことは前述の通りであるから原判決が「当日の議題が学校並びに原告等にとつてもさほど重大なことではなかつたのであるからそのことを周知説得すれば本件の如き事態には立至らなかつたと認められる事情が存在し、この点被告側にも多少の落度がないとはいえない」としているのは全く真実に反して事実を認定しておるのでありその存在するとなす「説得すれば本件の如き事態には立至らなかつたと認められる事情」とは如何なる事実関係を指しているのか不明であるが、被控訴人の不法な要求に対して遂にやむなくその面前に於て同教授会非公開の票決をなした控訴人及び同教授会の態度以上に如何なる忍従と説得が要求せられるのであろうか。控訴人のどこに多少の落度があるのであろうか。諒解に苦しむところである。然るに原判決が被控訴人は「そのような事情(女専部教授会が学内公開であると信じていたことに相当の理由があること)があるので非公開と決定されたことにつき不満を抱き不当と感じたため、その理由を知ろうとして退去に応じなかつたのである」と事実を認め恰も、非公開の票決後も被控訴人がそこに止まつたことが理由あることの如く謂うておるのであるが、斯くの如きは全く非理であつて票決自体が非公開決定の理由なのであつて、これに対し被控訴人が不満不当を感ずる理由はないのであるが、理由のないことを敢て主張したところが被控訴人が所謂「腹に一物をもつて」臨んでいた証左であつて、その場合の被控訴人の真の目的が同教授会に威圧を加えて之を公開せしめんとするに在つたことを物語つているのであり、既に分つている非公開の理由を敢て問わんと謂うが如きは威圧による公開強要の手段たるに止まるのであることも十分に露呈せられているのである。更に事を端的に謂えば被控訴人は同教授会が自己の指導者と認める日本共産党京都府立医大細胞員足立興一助教授の身分に関する事項が議題となるものと推測し、公開の席でこれが議事を行わしめ得るまでは議場を退去しない意図を抱いていたことが明かである。従つて当日の議題が何であるかを説明しても被控訴人が退室する見込はなかつたのである。原判決が自ら事実認定によつて明かにした事態の全推移に鑑み被控訴人の叙上の如き企図を洞察観取出来なかつたのは不覚も甚しいと謂わねばならないのである。

(四)原判決が被控訴人が非公開の前同教授会から退去しなかつた事実を認めながら被控訴人は「その間においてかなり喧騒に亘つたとはいえ脅迫的言辞を弄したり、暴行に及んだものでない」と述べ恰も被控訴人の行為が暴力的なものでないから放学に値しないかの如く評価しているのであるが、この事実の認定並評価も亦誤つているのである。即ち現に被控訴人が同教授会議場を退去しなかつたのは一の犯罪であり、又単なる喧騒に止まつたというが、それによつて被控訴人等多数の威力を示し、同教授会員として出席の各教員をして平隠にその議事を進行せしめるの自由を侵害したものであり、多数共同による自白に対する現実の侵害が脅迫となることは、吾人の常識上疑を容れないのであるから、被控訴人の教授会議事の妨害は明かに暴力行為等処罰に関する法律違反の行為か又は公務執行妨害の行為であることは明かであり、原判決が之を以て暴行脅迫的な所業でなかつたとなすのは理解に苦しむところである。

(五)原判決が被控訴人の教授会議事妨害行為が放学に値しないことの理由を示す根拠たる事実として「被控訴人が女専部教授会議室に入場したのは教授会を傍聴し且クラス会の決議の趣旨を陳述せんが為であつて当初からこれを混乱流会させる意図があつてのことでは無く流会は思わない結果であつた」と認定し被控訴人の右所為が予謀的計画的企図に出でたものでないことを明かにしているが、この事実の認定は誤つている。しかも原判決も亦「被控訴人等を特に非難すべき点は詮じつめれば教授会が非公開との決議を行つたにも拘らず退場を肯せず教授会の意思を軽視し、これを冒涜したことに帰するのである」と認め又「その間においてかなり喧騒に亘つた」と認めている如く、被控訴人等が非公開を宣した同教授会の議場を退去せず喧騒に亘つたことが明かである。かかる事態の続く限り教授会の流会を招くことは火を睹るよりも明かであつて被控訴人にとつて「流会は思わない結果であつた」と認めた原判決は全く認識を誤つていることが明かである。否それよりも更に重大な原判決の事実誤認は右教授会議事の妨害が被控訴人の予謀的計画的企図に出たものであることを見誤つた点に在るのである。何となれば、(イ)被控訴人は、当時その身分が問題となつていた原審証人足立興一氏とともに京都府立医大細胞所属の日本共産党員であつて学の内外に於て所謂日常闘争をこととして来た間柄であつて何事によらずその組織上の連絡が密であること(公知の事実であり且同大学内に顕著である)。(ロ)被控訴人は曾て昭和二十四年十月六日の本科教授会に於て学則改正を議せられんとするや約五十名の学生を動員して之が傍聴をなし多数の気勢を示して不当な発言をなし以て自ら同教授会を威圧制御し得たりとなすが如き経験を得たこと。(ハ)右の経験を公表し、学生を教授会傍聴に動員せんとする趣旨の掲示を被控訴人増田彌一の名義を以て学内に公示したこと。(乙第十五号証)(ニ)昭和二十四年十一月九日の女専部教授会即ち議事を妨害せられた同教授会を退去しなかつたものは被控訴人にしろ女専部生徒にしろその殆んとが、日本共産党府立医大細胞所属の同党員又はその同調者(原審原告本人訊問調書、団体等規正令による届出)であり日頃から同党員足立興一教授、竹沢徳敬教授の影響下に在るものばかりであつたこと(この点は原判決「事実の認定」の(2) 「女専部教授足立興一の進退問題」の項で暗にこれを認めている)。(ホ)特に右教授会の議事を妨害してこれを流会せしめるに至るにつき主導力となつた者は被控訴人であり、何れも、本科学生であつて本来同女専部及び同女専部教授会には何ら利害関係のなかつたこと及び従つて被控訴人はその時を除いては未だ曾て同教授会の公開を求めたことのなかつたこと。(ヘ)足立興一教授が昭和二十四年十一月八日正午頃本科学長兼女専部長たる控訴人から辞職勧告を受け翌九日正午過頃拒絶の意思を表示したこと、八日の案内を以て九日午後三時から同女専部教授会が開かれることになつていたこと、控訴人は九日正午頃になつて始めて同教授会に足立教授に関する人事問題を序に報告する考えになつたこと(この点も原判決「事実の認定」の(3) の(イ)に於て認めるところである)。(ト)右の事情から足立教授は同教授会で右の人事問題が言及せられるものと予想していたこと(この点は原判決がその「事実の認定」の(3) の(ハ)のところで「足立教授から自分の一身上のことが出なければよいがもし出るのであつたら公開として貰いたいとの発言あり」と認定しているところによつて明かである)。(チ)そこで足立教授が自己の影響下に在る学生々徒等に対し本来秘密にすべき自己の人事問題を漏洩し、以てそれらの者を暗に煽動して右教授会に対し何らかの行動に出ずべきことを少くとも期待し、或は進んで慫憑したものと認められること、(この点は足立教授自らか女専部四年生の生徒に対し八日教室に於て訣別的挨拶を述べている事実又同教授が九日本科第二回生のクラス会に於て辞職勧告を受けたことを公表した事実及び原判決がその「事実の認定」(2) に於て認める事実によつて明らかである)。(リ)そこで足立教授と思想的に同調する(このことばは、この場合日本共産党員として総ての日常闘争に協力するということと同義語である)一部学生生徒(学生生徒の一部ではあるか学内の日本共産党員及びその同調者の大部分である)が足立教授への辞職勧告の事実を聞知して、これを不当な理由のないものであるとして憤慨したこと(この点は原判決が「その事実の認定」の(2) でこれを認定している)。(ヌ)当時被控訴人は福田彌一は第三回生であり学内の学生自治会の委員長であり、その他の被控訴人は第二回生であつて、被控訴人平井正也は学生自治会の副委員長であり、被控訴人等が多くの学生が無気力か、無批判である学内に於て表面上学生の動向を支配していたこと(この点は学内に顕著である)。(ル)そこで被控訴人その他の原判決の所謂足立教授と思想的に同調する(日本共産党員又はその同調者たる)一部学生生徒がそれぞれクラス会を開き、その指導力に物を言はせて、被控訴人平井正也等の本科二回生と女専部四年生が足立教授解職反対と女専部に基礎医学の設置を要望する決議を行つたこと(原判決「事実認定」の(2) の認定及び学内に顕著な事実によつて明白である)。(ヲ)右本科第二回生のクラス会に於て当時日本共産党学内細胞党員指導者としての意味以外に同クラスと何の関係もない足立教授が自己の進退問題について説明したこと。(原審証人足立興一の証言)は同大学内の日本共産党学内細胞党員が最も有力に指導力を発揮していた本科第二回生、その実は被控訴人平井正也以下の第二回生たる同党員を煽動又は動員し、これと呼応して学内に足立教授退職反対闘争を起しその圧力を以て控訴人の職務権限に干渉し学内に同党勢力を扶植拡充せんとする同党の日常政治闘争方針の現はれと見ることができること(日本共産党員を主力とする学生運動がかかる方針のもとに行はれておることは、公知の事実である)。(ワ)殊に足立教授は昭和二十三年十月本科の解剖学(基礎医学に属す)の講師を解かれており(原審証人漆葉見龍の証言)又女専部は学制改革により昭和二十六年三月末を以て廃校となることに決定せられていて、同教授担任の女専部解剖学講義は当時既に完了していて、向後同講座を置く必要がなく又本科解剖学講座は既に充実せられているのであるから右各クラス会の決議は同大学及び女専部の実情を無視して基礎医学講座に藉口して足立教授のため地位を確保せんとする全く私情に出た不用の要求を掲げるものであつたこと(このことは同学内に顕著のことである)。(カ)従つて被控訴人等が掲げた決議なるものは本来控訴人に対し全く無理難題を吹き掛くる態のものであつたから斯る決議を控訴人又は前同教授会に押しつけようとしても到底不可能なことであり、悶著のもとであることは明かであつて前述の如く、足立興一教授の進退問題に憤慨した被控訴人等がかかる決議をなしたとき既に事態を紛糾に導かんとする企図を持つていたことは明白であること。(ヨ)果して被控訴人平井正也等本科二回生十数名が九日正午過前同教授会に先立つて控訴人に右決議文を提出するため面会したところ、各自氏名を書かされた上何等満足すべき回答を与えられなかつた(原判決の「事実の認定」の(2) に明かである)のは正に当然であつて、同被控訴人等が腹立たしい気持を抱いて引下り同日の女専部教授会に決議の趣旨を申入れることにした(前同認定)のは能く被控訴人が如何にも無反省であつて自己の主張の当否を顧みず無理を通すに手段を選ばないことの一端を示すものであつて被控訴人等が決議の趣旨を同教会授へ申入れんとする企画が全く事理を弁えず寧ろ腹立ち気分のもとに悶着を蒸返し事態を紛糾に導くものであることは十分に予見せられていたこと(原判決が被控訴人が同教授会議室に入場した目的は「教授会の公正な審議を妨害する意図に出たものではなく、いわんや教授会を流会させるなどということは思いもよらぬことであつた-原判決「事実の認定」の(3) の(ロ)-と認めたのは自らなした先行の認定事実の意味を無視した事実認定であつて所謂目を蔽うて鈴を盗むの類であり、全く認識方法の幼稚さを露はしている)。(タ)従つて足立教授退職反対等の問題を被控訴人が敢て同教授会に持込む企てをなすことは被控訴人にとつても事態が尋常に納まらないことを予見せしめるに足るものであつたこと、-よつてその場に臨んでからとるべき被控訴人の態度言動は当然臨機応変に行はれねばならぬことが被控訴人にも自ら理解せられていたこと。(レ)斯くて被控訴人にとつては同教授会が公開なりや非公開なりやは問題ではなく、これを公開せしめることが問題であつたこと。現に足立教授は同教授会が非公開であることは自ら同教授会員として熟知していたのであり、被控訴人もこれを知らされ、又聞知していない筈はないこと(このことは現に被控訴人は女専部生徒といえども曾て女専部教授会の傍聴を許された事例のないことを知つていたし、自己もこれを傍聴したことがなかつたことによつて明かである)。-即ち被控訴人が同教授会が公開であると信ずべき相当の理由のないことを被控訴人が能く知つていたこと。(ソ)被控訴人は当日前同教授会議室に入場して開会を待つているとき、果して同教授会員である志多半三郎、木口直二の両教授から同教授会が非公開であることを告げられ退去を勧められたにも拘らず、これに抗弁して素直に退室しなかつたこと(原判決「事実認定」の(2) の(ロ))。-このことは被控訴人が同教授会の公開、非公開の如何を確認した上で行動しようとしたのではなく初めからこれを公開せしめようとしていた魂胆を露はすものであること。(原判決、前同)(ツ)いよいよ前同教授会が開会せられるや、その直後志多教授から非公開となすべき緊急動議が提出されるや、足立教授から自分の一身上のことが出なければよいが若し出るのであつたら、公開にして貰いたい旨の発言をなし、同人の同論者である竹沢教授がこれを支持して公開を要求したこと(原判決の「事実認定」の(3) の(ハ))。-このことが足立教授等と被控訴人とが同教授会の内外で呼応して公開を要求したことを露骨に現はしていること。(ネ)相当論議の後票決によつて非公開に決定し被控訴人は退室を求められたに拘らず之に応せず多勢共同して喧騒し、その多数の威力を示して同教授会の公開を要求し遂に議事を妨害して流会に至らしめたこと(開会后の経過時間及び被控訴人上田好治及び同谷沢三部の行動の点を除けば、原判決前同部分に於ても略々明らかである)等事態の経過及び推移に徴すれば、被控訴人の本件議事妨害の所為が計画的且予謀的な企図に基く悪質なものであることが明らかに認められるのである。

(六)原判決が「原告等の放学処分は本科教授会における二十二対二票の多数決で議決された。しかしながら、その審議は必ずしもその慎重になされたと見ることはできず、事実の判断事案の討議には欠けるものがあつたことを否定できないのみならず被告は右学生等の妨害事件の当事者の地位にあり、その被告から事件後間もない時期において原告等の放学処分の提案がなされ審議が行はれたものであつて、右教授会は議案を客観的に冷静に判断する余裕を持ち得ない情況にあつたものと認めるのは誤であろうか。云々」(原判決三の(3) の(ロ)の後段)と述べ恰も被控訴人を事件発生後間もなく放学に処したのは控訴人及び同教授会が教育の本義を解せず感情に捉らわれて事件を客観的に判断せず慎重を欠いたとしているのであるが、斯る認定こそ理由なきことである。何となれば、被控訴人の放学を議決した本科教授会は議事を妨害せられた女専部教授会とは全く別個のものであり、その構成員も学長たる被控訴人を除けば総て別異の教員であつて決して被害者的立場に在るものではなかつたから控訴人の提案を審議したのが事件後間もなしであつたという一事を以て、同教授会が事を客観的に冷静に判断する余裕を持ち得なかつたというのは根拠なき妄断であり、現に原判決も認めている如く同教授会は討議を尽しておる(志多教授が出席発言したという誤認の点を除き原判決の「二事実の認定」の(5) )のであつてこれを以て審議が慎重を欠いたとなすは事実を誣うるものである。殊に事件は女専部教授会に於て起つたことであり、これが真相は公文書たる議事録によつて明確にせられているものであるから、事件の真相の調査のため日時を要するが如きものではなかつたのであるから、控訴人が事件後間もなく同教授会に被控訴人の放学に関する提案をなしたのは当然であり、之を以て時期尚早とか、軽卒とか冷静を欠いたなどと請うべきものではないのみならず、教育上の必要から言えば、事件後早期にこそ懲戒の実を挙ぐるべきであつたのであるから控訴人が早期に被控訴人の放学を提案し、同教授会がこれを審議したのは全く正当であつて原判決の謂う如く非難せらるべきものはないのである。況んや学長が議案の提案者とならなければならないのであるから、たとえ女専部長として議事を妨害せられた女専部教授会に列席していた控訴人が被控訴人の放学を提案したのは当然であり、これを以て恰も喧嘩の当事者がその相手方を懲戒するのと同様に観じてその間何らかの欠くるところありとするが如きは、法理を弁えず徒らに邪推を挾むの類と謂はねばならないのである。斯くて本科教授会が被控訴人を放学に処することを議決した経過情況につき何の非難すべきものもないのである。

(八)原判決が昭和二十四年十一月十五日の本科教授会に於て女専部教授志多半三郎が出席し、井上控訴人の提案理由と同様の発言がなされたと認定している(原判決「事実認定」の(5) )のは甚しい誤認であつて同教授についてはそのような事実はなかつたのである。

(六)原判決が被控訴人上田好治並びに同谷沢三郎には懲戒に値する「学生の本分に悖ると認められる者」と認むべき所為がなかつたと認めたのは事実の誤謬の甚しいものである。即ち原判決は「原告上田同谷沢に対する懲戒は調書の粗漏に基く事実の誤認の上に下されたものと云はなければならない。懲戒の理由の無いところに懲戒権を行使することの違法は明白である」としている。しかしながら原判決は「当事者に争の無い諸事実を経とし弁論の全趣旨を緯としつつ原被告の挙示する全証拠を彼此綜合して証拠判断を加えその認定に反する証拠は採らない」として「原告谷沢、原告上田の動静について」原告谷沢は右流会の直前すなはち志多教授の退場する四、五分前頃に会議室に入場し他の学生等の位置するところに行つていたが流会の宣言されるまで一言も発せず非公開決定のあつたことも知らず水野教務課長が「出ろ出ろ」と云う声は聴いたが事情をよく呑込めぬままにいたものであり、流会後原告内藤と共に最後に出ようとした木口教授及水野教務課長と非公開の理由について話したに過ぎない。又原告上田は当日午後四時少し前に教授会のあることを知り傍聴しようとして会議室に入場したがその時はすでに教授会は流会した直後であつて会議の席に教授の姿はなかつた。原告上田は後に残つて水野教務課長を捉へて流会の理由を訊ねて議論した」と事実を認定した。一体「当事者に争のない諸事実を経とし弁論の全趣旨を緯としつつ」とはいかなる意味であろうか、又全証拠を彼此綜合して事実を認定しながらこの認定に反する何れの証拠が採用され又排斥されたのか全く知るに由がないのである。かかる証拠判断は未だ会て類例を見ざるほどの粗雑にして独断極まる判断と云い得る。例えば乙号各証拠は京都府立医科大学及附属女専部に備付けある公の文書であり右乙各号証殊に乙第二号証によれば本件教授会の開会は昭和二十四年十一月九日午後三時三十分で被控訴人等の妨害により審議不能に陥り流会したのは同日四時五十分である旨の記載と、本科学生、木村、平井、門脇、谷沢、内藤、福田、上田、田坂、外女専生徒平岡外十二名インターン中谷外三名の各在室者の記載の末尾に同人等は非公開宣言に至る迄教授会場より退場をせなかつたものであるとの記載と、勝学校長亦「諸君が退場せず発言することは審議の妨害である」と述べ水野教務課長に命じ退場せざるものの氏名を記録点呼せしめ学長自らも又名紙を出し記載していられたようである。水野教務課長は大声を挙げて、木村、門脇、平井、内藤、谷沢、上田、福田、田坂の姓名を点呼したが却つて氏名の記録を冷笑するものもあり頑として退場せずとの記載と、原審証人鈴木成美証人に対する原告代理人の問に対する答に「十一月九日女専教授会に於て発言した学生の顔は知つてをります、平井、木村、上田の三人はナカナカ活溌に発言しておりました」の記載、原審証人水野重一証人の答の中に「集まつた女専生やインターン生に発言者はなかつたが本科学生八名の者は盛に発言し退場を拒み教授会に対して反抗的気勢を示しました。これは全く学園の秩序を紊り学生の本分に悖る行為であり懲戒罰に値するものであつたのであります」「右多数発言して教授会に対し反抗的気勢を示した学生中に原告等六名が居たのです」「学長は其の席に於て私に対し騒ぐ者の名前を呼上げよと言はれた私はその時自分で認めた原告等六名と田坂、門脇の二名を呼上げた」「教授会の終つたのは四時前頃では無く相当長時間もみにもみましたので部屋に戻ると薄暗くなりましたから午後五時前頃に流会せられたと記憶します」との証言と、原審証人保田淳の原告代理人の問に答へて「右教授会に原告等六名の外門脇、田坂、私の本科二回生と一回生の井本、服部これに松山も傍聴に来たと思ひます」との証言と原審証人門脇一郎の原告代理人の問に答へて「よく考へて見ますと教授会が流会して皆が退出したあと私等三、四人と水野教務課長が残り先に席を立たれた木口教授の顔も見えて談合しましたが其の時上田も私等のメンバーに連なつて顔を見せていたのを覚えています」「その他の原告五名と田坂は私と共に最初から入室し傍聴していたことは相違ありません」との証言と、原審証人木口直二の被告代理人の問に答へて「水野は席を立つて一々学生の名前を点呼、筆記致しました。其の呼び上げた名前の中に原告上田の名前もあつた様に思ひます」「前述の女専の教授会の終つたのは午後四時四十分を少し過ぎていた様に思ひます」との証書と原審控訴人本人の訊問調書中、乙第二号証を示す「この女専教授会の議事録写と同様の議事が行はれました。私は教授会の終了後間もなしに事務局より提出した議事録に目を通しましたが間違つているところはないと認めました。この写はその時の議事録ですから内容に間違ないと思ひます。この教授会は十一月九日午後三時四十分頃から始まり午後四時三、四十分頃流会によつて終了したと思います」「発言した本科学生で私の目に付いたのは前述議場南端締切のところから西窓奥に居並んだ、木村、平井、内藤、門脇の四人で名前も断然指摘することが出来ます。同人等の向つて左側なる締切ドア附近に居る数名も誰彼なしに口々に発言して居りました。」「原告上田学生の姿は判りませんが鈴木議長が流会を宣して帰らうとして立つた際前締切の入口近い方に立つている同学生を認めました」原告平井本人訊問調書中、原告代理人の問に答へて「右数授会を傍聴した本科学生は福田、木村、内藤、田坂、門脇、私、少し遅れて谷沢が参り松山、北村も室に這入つて居りました」との各証言供述乙号各証とを彼此綜合すれば、被控訴人谷沢三郎及同上田好治が爾余の被控訴人と共同して放学に値する前同教授会議事の妨害をなした事実は明白である。斯る明白な証拠を無視し開会より流会迄の経過時間を二十分と認定したこと。被控訴人本人福田、谷沢は本件教授会開会より流会の宣言迄の時間は五十分乃至一時間以上を要して居ることは前に指摘した証拠によつて明かなるに同人等は五、六分であるとの供述をしている事実は真を述べたものではない。又被控訴人上田が四時頃に議場に来たが教授会場には会議が無かつた旨の供述も亦信を措けない。原告本人の供述に重きをおき谷沢、上田を懲戒に値する事実が無いと断じた原判決は採証の方法を誤り事実を誤認した不当な判決である。

以上之を要するに先に引用した原判決の認定とは全く正反対に (一)被控訴人が前同教授会議室に入場して発言したのは同教授会を傍聴し且つクラス会の決議の趣旨を陳情せんがためではなくこれに藉口して、多数で威勢を揚け、其の威力を以て同教授会を制圧してその公開を強要せんとする限り議事が妨害せられ遂に流会の已むなきに至ることは当然且自明の事理であつて、流会が思はない結果であつたなどとは詭弁も甚しいのであり、(二)被控訴人は同女専部教授会と同様公開であると信じていたのではなく、公開でないことが分つていたからこそ、多数の威力を示して、これが公開を強要したのであり、それ故被控訴人がそれが公開のものであると信じるにつき相当な理由などある筈がなかつたのであり、(三)従つて同女専部教授会が被控訴人の面前で非公開を票決せられたことにつき不満を抱き不当を感じたのは全く身勝手、無反省極まることであつて、其の上なお非公開の理由を知ろうとして退去に応じなかつたことは言語同断不法も亦甚しいのであつて、そのために相当長時間に亘つて喧騒を続けたことは、それ自体脅迫的犯罪なる行為であつて、それ以外に直接身体的又は物質的暴力が行使せられなかつたとしても、これまた暴力の本質を備うるに十分なものであつたのであり、(四)しかも当日の議題は学校及び控訴人等にとつて、さほど重大なことでなかつたというべきではなく、それ自体重大であればこそ、同教授会で議せられることになつていたのであり、当日の議題のインターンに関する事項は医師法に定められた医師養成上の重要事項であつたのであり、本来非公開の同教授会に於てその議題を予め被控訴人等学生生徒に公告すべき謂はれはないから当日の議題がさほど重大なことでないことを周知説得する要はないのであり、仮に抽象的に左様なことを説明しても納得する被控訴人でないことは、非公開が面前で票決せられ乍ら故らに、非公開の理由の説明を要求して居直り続けた被控訴人であることによつて明白であり、よつて足立教授の留任がその場で肯定承認せられることが明かになるまでは説得などに応ずる被控訴人ではなかつたのであるから、同教授会が相当長時間に亘る被控訴人の不法な言動を能く忍従したのは、全く教育的見地に立つていたればこそであつて市井通常人ならば到底堪え得ないところであると謂えるのであり、その間控訴人として責めらるべき何の落度もないのであり、(五)又同教授会は本科教授会と全く同様の権威の下に学校教育連営に当つているものであるからこれを蔑視することは許されす最高学府に学ぶ被控訴人が女専部の教授会だからというので少し軽く見ていた節があつたというからにはそれは決して恕すべきことでなく、却つて正に責むべきことなのである。(六)而して事件に直接関係のなかつた本科教授会が二十二対二票の多数決で被控訴人を放学に処するについては議案を客観的に議するにつき欠くるところはなかつたのであり、懲戒が教育的効果を有つためには、それが事件後できるだけ早く行はれることの方が望ましいのであるから、審議が必ずしも慎重になされたと見ることができず事実の判断事案の討議には欠くるものがあつたことを否定できないのみならず議案を客観的に冷静に判断する余裕を持ち得ない情況にあつたと認めるのは誤りであり、(七)又法令が公認する放学は放学に処せられる学生本人にとつても学校教育上最後の教育機会と教育手段を与えるとともに他の学生に対しても教育手段となるものであるから、放学が被控訴人に対してなされたとしてもこれを以て控訴人が教育者として能事終れりとなし、教育者としての負託に応えないものであると疑うが如きは控訴人を誣うるも亦甚だしいものである。

然るに原判決は右と全く反対の誤つた認識の下にことを論じ被控訴人の本件所為は放学に値せず従つて本件放学処分は裁量権を誤つた違法があるとしその法理として、その「三、原告主張の放学処分の違法処分の違法事由に対する判断」殊にその「(3) 懲戒裁量権行使の誤謬」の項に於て縷々その見解を叙述してあるのであるが、その「現実に生起する学生の本分に悖る行為は最低の処分が相当であるものから最高の罰を科せなければならないものに至るまで千差万別であつて一定の範囲に属する学生の本分に悖る行為は戒飭で足り一定の範囲に属する同様の行為は停学を相当とし更に一定の範囲に属する同様の行為にしてはじめて放学に値いするものといわなければならず従つてこの一定の範囲において学長は裁量権を有しこの範囲においては当不当適不適の問題を生ずるに過ぎないが一定の範囲を超えて値いしない重い懲戒の種別を選択するときは、もはやそれは当不当、適不適の問題に止まらず裁量権の行使を誤つた違法な懲戒といわなければならないのである」としているところは単に表現としてその行文自体の意味を理解することはできてもその実質は晦渋難解であつて左様な区別をどの点で決するか具体的にそれが如何なるものであるかは少しも分らないのであつて、結局原判決がそこで「教育的見地、社会の通念に従つて相当であるかの具体的な事情を厳密に考察し当該行為に相応した処分をしなければならない」というておるところに尽きるのである。そして原判決の三の(3) の(ロ)に掲けているところが本件につき具体的にそれに当るとしておるのであろう。

ところが本件に於て左様な「教育的見地」とは果して何人について言ひ得るのであろうか。それこそ学校教育者についてのみ言えることであり、学校教育者たる控訴人及び本科教授会についてのみ言ひ得るのであつて原裁判所と雖も能くこの見地に立ち得るものではないのである。これ控訴人か教育上必要な懲戒は教師のみ能くこれをなし得るが故にこれについて裁量は教育者たる学校(校長及び教員)に委ねられているとなす所以であつて裁判所と雖もこれに容喙すべきではないのである。而して茲に「社会の通念」とは何か。

原判決は「教育的見地」の外に教育と離れた「社会の通念」と謂うておるのであろうか。そうなれば茲に「教育的見地社会的通念」と謂うているのは意味をなさないであろう。従つて茲に謂はれている「社会の通念」は「教育的見地」と一体をなすものと解する外なく、かかる「見地」は控訴人及び控訴人がその構成員の一人である同大学教授会のみ能くそこに立ち得るものであることを銘記すべきである。

このことは原判決が遠く憲法に遡り教育基本法以下学校教育法その他教育関係法令の精神並解釈を説くと否とに拘らず不変不動のものである。况んや原判決が被控訴人の行為は放学に値せずとして掲げている前記の諸事由(原判決の三の(3) の(ロ))が原判決の事実の誤謬に基くものであるに於ておや。即ち原判決は「学生の本分に悖ると認められる者」である被控訴人につき同大学学則第三十四条の定める三種の懲戒のうち何れを選ぶべきかについてなした控訴人の裁量権に不法に干渉したものであつて失当と謂はねばならない。勿論法理上裁量権にも或る限度があるということが認められるであらう。然してそれは例えば国家公務員を職員定員法に基いて解職すべき場合に明かに人権、性別、所属政党別によつてこれを解職するが如き場合であるとせられているのである。(田中二郎前掲行政争訟の法理)又例えば公営造物権力法規に関して反省して見るに公営造物権力による個々の場合の私人の自由の制限(懲戒は其の一面である)にはその営造物目的から来る限界の外には法律を以て限界を定めるを要しないが故にこの限りに於ては所謂行政の法律適合の原則は適用がないとせられるのが学説上の通説である。従つて公法上の特別権力関係に基いて同大学長たる控訴人がなした懲戒処分によつて被控訴人等が同大学学生たる地位を制限せられ営造物利用干係に於ける利益又は自由が制限せられたとしても、この私人の自由の制限は営造物たる同大学の目的上当然超えてはならない限界を超えて、例えば学生に特定人との交友を禁ずるとか、映画の観賞を禁止するとか、通学に一定の交通機関を指定するとか、するようなことは同大学の目的とは関係のない自由の制限であるから法律上違法とかの問題となるが、左様な限界を超えさへしなければ同大学学長たる控訴人の自由(決して専恣を意味しない)に決定し得るところ、即ち自由に裁量し得るところであると謂うべきであつてここには法律上の適法違法の問題は起らないのである。斯くて原判決が控訴人がなした本件懲戒処分が裁量権を超え因て適法なものであるとしたのは不当であるから原判決は取消され本訴請求は棄却せらるべきである。

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